巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想233・234

一九八〇年から今までが範囲の時間かくれんぼです

 

 まみのモデルの人が現実で生まれたのは七四年らしい。すると八〇年は小学校入学辺りでキリがいいのでそのように考えておく。

 『今まで』が『範囲』なので今からは違うと見られる。小学校辺りから人間関係が複雑化して『かくれんぼ』状態だったが、そういうことはやめるということだろうか。つまり、本心をこそこそさせるのをやめて、正直にやっていこうということで、この詠もやっていこうの系統であると読むことができる。

 

「これから」

 

 

玄関のところで人は消えるってウサギはちゃんとわかっているの

 

 『ウサギ』の詠。ウサギの視点に立とうとしているが、『ウサギ』の呼称からまみの視点ではあるといえる。

 ペットのウサギから観ると、確かに玄関の外での飼い主は謎であり、消えるようなものである。自身が外にでられないことなどへの諦めも混ざったような表現で、正確ではないが、把握はしているのではないか、というまみからの推測が詠にされたものといえる。『ちゃんとわかっているの』といいつつも正確ではないところが面白味なのだろうか。

 

「認知」「正確」

 

手紙魔まみ感想227228

夜が宇宙とつながりやすいことをさしひいても途方にくれすぎるわね

 『さしひいても』前までの前提も実感に逆らい、破調もあいまって不確かで分かりづらいものになる。一方、『途方にくれすぎるわね』は理解の効く感情であり、前半部のわかりにくさがこちらのわかりやすさを強調する。

 

「不確か」「途方にくれる」

 

窓のひとつにまたがればきらきらとすべてをゆるす手紙になった

 

 窓のひとつにまたがればまでの前提も実感に分かりづらく、破調があるということで前歌と共通する。『すべてをゆるす』がこの歌のメインと思われる。『すべてをゆるす』こと、または『手紙になる』ことが『まみ』にとっての願望、テーマだったのかもしれない。

 『きらきらと』も光や星を連想させ、前歌とのつながりを思わせる。

「願望」

手紙魔まみ感想225226

大好きな先生が書いてくれたからMは愛するMのカルテを
 
 『大好きな先生』という他人を理由としての、屈折した自己愛である。素直に自分を受け入れることはできないが、『カルテ』に関してはやっていくきもちがあり、少しずつ前進したいのかもしれない。
 
「自己愛」
 

(・・リリン)と呼ぶ声がした 云うことをきかないヒトデを叱っていたら
 
 『ヒトデ』を隠してみたときに入りそうに思うのは、人の属性(妹、客、子供など)かウサギなんかが来そうな気がするが、ヒトデである。人に近づいていく意識なんだろうか。『・・リリン』も独特の出だしである。
 
『声』

手紙魔まみ感想223224

拳大の蟻が寝息をたてながら囓りつづけるわたしの林檎
 
 林檎というとキリスト教で知恵の実だとか言われ、次の歌にも宗教色があるのでその連想は無視できないと思う。とてもデカい蟻が当然のように「わたしの」林檎を齧る様子は異様だが、落ち着きをもってそれを眺めていて、当然のことだと私は感じている。何か重要なものが異様でグロテクスな存在に奪われるのを受け入れる落ち着きが核だろうか。
 

 

「異様」「落ち着き」「受け入れ」
 
 
その答はイエス、と不意に燃えあがる銀毛のイエス猫を抱けば
 
 前がはいで後ろがジーザスと思われる。
 異常、宗教色、動物など前歌と共通するテーマがある。ジーザスが主役なのが最も違うところだろうか。『イエス』の意味の重複のギャグ、燃え上がりの暴力味み、それをおいて猫を抱く優しみ?
 「イエス猫」で検索するとあまりにもしょうもない世界が開けていた。
 
「優しみ」「不意」

うた~ウパ~

モノリスで作られた感情は
再現可能です
大事にしないでください
モノリスで作られた感情は
見られたがり屋です
誰か受け止めてください
モノリスで作られた感情は
再生不能です
記録をつけてください

手紙魔まみ感想221・222

ドラキュラには花嫁が必要だから、それは私にちがいないから
 
 『私』の重要視ということが見られるが、ドラキュラの存在という前提の前提が架空ということで断定が拠り所のないものになっている、という歌。上の句は定型から曖昧に逸脱していて、架空性に上乗せになる。
 
「架空」「自己重要視」
 
 
 
わからない比べられないでもたぶんすごく寒くて死ぬひとみたい
 
 わからなかったり比べられないことを散々前までやっていたのでは、ということに今一度立ち戻り、正直に白状し、『でもたぶん』という曖昧であるゆえに正直な前置きの後に実際には見たこともやったこともない『すごく寒くて死ぬ人』という直喩。直喩も比喩であることを隠そうとしないという意味で正直と言える表現かもしれない。
 
「正直」

手紙魔まみ感想219・220

顔中にスパンコールを鏤
ちりば
めて破産するまで月への電話
 
 スパンコールは服などの飾りに付ける小銭状の金属らしい。
 『スパンコール』『月への電話』といった無駄によって『破産』することを目指している。自己破壊願望の系統だろうか。現実性は全く薄いため、そういった妄想をすること、程度にとどまるだろう。月は昔から憧れのような感情が向かったりするものでもあったということもあるかもしれない。
 
「無駄」「破滅願望」
 
 
 
なれというなら、妹にでも姪にでもハートの9にでもなるけれど
 
 『なれというなら』という受け身の姿勢と、他との関連を表す『妹』『姪』番号でしかない『ハートの9』といった語で、徹底的に受け身である。自分に対して冷めた目線で物を見ているのだろう。『けれど』としてそのような要望を受けることがないことも自覚している。
 
「冷静」「受け身」