巣/人生の意味/植毛

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なにかを本気で始めようかと思っている、自由詩とか

 四月からの就職先での仕事はおおむね順調である。少なくとも五年前に、工場に行った時よりかはずっといい。あまり器用でも要領がよくも愛想がよくもないかもしれないが、致命的に全部できんとまでは多分思われてなく、つつがなくやっていきたい。給金はいい。実家暮らしなので生活上のあれこれも大体うまくやっている。家には犬がいて、職場の周辺には野良猫がうろついている。

 

 金、あるいは衣食住に属するような悩みが当面解決された気がしてきたので、自己実現や他者承認のことを考えるようになっている。人付き合いというと、現実に連絡を取る間柄の友人の類は居ないので、Twitterやらのインターネット付き合いのことを考える。あるいはTwitter自体を一コンテンツと見なすとして、どう付き合っていくのかだとか。

 とりあえず本を読む時間を増やしたいと思う。電子書籍をセールでパカパカ買ってやたらに積んでしまったので、ソシャゲから電読に習慣を変えていきたい。なろうも色々ある。
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 それで、自由詩だ。なぜ自由詩かというと、以前このブログに置きっぱなした、自由詩がまあまあいい線行ってるんじゃないかと思い直したからである。もう一度短歌で闘ってもべつにいいけど、結局今のところは自由詩かなあと思う。初音ミクの小説でも、ソシャゲキャラの無様エロSSでも本当はいいのだけれど、ここ数週間のノリは自由詩に傾いているらしい。

 7年くらい前、命がけで短歌をやる気になったときのことを思い起こす。あの時には就活や生活を為すことへの不安と孤独があった。短歌をやったことで、インターネット越しながら(インターネット越しでしかないことで、本当にとてつもない劣等感に苛まれ続けているのだ)、人付き合いについて生まれてはじめて真剣に悩んだ気がする。短歌以外にも、fgoとかアとかディスコで縁が出来た人も居た。これからもよろしくお願いしますなどと思う。孤独についての悩みは強くなったけれど、なるようになるでしょう。あるいは、なるようにしかならないでしょう。

 

 どうしてでしょう。

 それでもさみしさは消えません。

 もう一人ではないのに、どうしてだろうと女の子は悩みました。

 すると、同じようにさみしがりな、一番最後にやってきたねずみとこうもりたちの王さまが言います。

 


 それは、ひとりじゃなくなったからなのだと。

 たくさんの人に囲まれている時の方が、ひとりきりの時よりさみしく感じられるものだというのです。女の子はふしぎなことだと思いましたが、なるほどと納得もしました。

 

幻想再帰のアリュージョニスト
死人の森の断章9-∞ 必ず貴方を迎えにいくから

 

 それはともかく、自分も自分なりの切実さをもって、自分の課題に対して挑戦し続けなければならず、何かを遺したいと思っているから、実現のために少しずつ改善しようということなのでした。

 

追記·2022/10/3

クリスタで月イチおえかきすることを習慣に組み込み、成功しつつある。本仕上げはだいたいマウスだし、ドット絵の感覚に近いかもだが、ともかくパッと見でわかるのがいい。スマホロック画面に組み込んでいる。俺は俺の絵を自信の持てるものとしてお出ししているが?

自由詩というか言葉を使うことにもいろいろ試したり勉強したりとかがある。及川眠子氏の作詞の本はなかなかためになった。自由詩より歌詞のほうが強いし商業評価に晒される厳しい世界だって感じがするところに深みやが味わいがある。言葉を使うことにもまだ飽きないで諦めないやっておりたいというガツガツさは維持したいぜ。