巣/人生の意味/植毛

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道徳《モラリティ》

 

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

 

 

自分は道徳的な人間でありたいという願望が強かったのでよく道徳を勉強したこともあるが、厳密に道徳を運用することは倫理という概念に相当し、道徳は丁度良い中道、極端に偏らない多面的なものの見方を理想に置くものであった。道徳をよく勉強することで身につくのは道徳性というより道徳の抜け道らしい。知ってしまったらもとには戻せない類の知識だが。良心に差し障る価値判断を行う際は倫理面での検討を行い、また自分を含む当事者間での感情を踏まえてバランスの取れた結論を下したいという欲求の丁度良さについて模索する癖がついた、ように思う。威張ることではない気がする。

 

「道徳って本当は何だかわかる?」ベッカーは冷静に相手の目を見つめた。「それは自分の子供を助けるために、知らない子供二人を死なせること。それは誰かを殺したとき、相手の目を見つめていたら何か違いがあると考えること。それは小胆さと臆病さと、誰かに子供たちのことを考えさせないこと。合理的なものじゃないのよ、アマル。 倫理的でさえない」

ピーター・ワッツ. 巨星 ピーター・ワッツ傑作選 (創元SF文庫) (Kindle の位置No.2565-2569). 株式会社 東京創元社. Kindle 版.

 

私は、災害や不幸は人間の能力を最適化させる推進剤だと思っていたし、自分が当事者になろうがその考えを改めようなどとは思えない。事物を抽象化し、いちいち具体性を伴ったものとして思い入れなくて済むことは文明的人間の長所である。何も近年の技術革新後のことだけではない。人類が狩りと採集に頼ったその日暮らしを終えるターニングポイント、農耕革命の時点から抽象化は欠くことのできない情報処理方策だった。ただ一人や一家族の人間が消費するには過剰な食物は、それらを有効に管理・配分できてこそ十分に役立つ。その管理業務とは筆記・記録によって成立したのだ。生産者と管理者、仕事の分業がこれをもって始まり、余剰食糧の分だけ余剰職業が生まれる。新しい法則や道具が生み出されると、それだけ生活がよくなっただろう。

 

axetemple12.hatenablog.com

 

生活がよくなるとは、つまるところ悪かったところが改善されることだ。例えば住居では、原初のそれは岩陰や洞窟にあったことだろうと推測される。あたりに何もない平原の真ん中で眠るわけにはいかないだろう、夜行性肉食動物などの危険から逃れる必要があるから。この程度の危険を避ける方法は、ただ本能があれば十分に導き出されるので、野生動物にも可能な判断だ。また、簡単に解決される不便についてもやはり動物もある程度は克服する。例えば、寝床に藁を詰めると柔らかく、温かくなるだろうが、これは巣を作る動物にもみられるものだ。

 

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https://www.irasutoya.com/2014/07/blog-post_5621.html

しかし、現代で洞窟生活をする人間はほぼいない。文明人は住居を開発し、それは理にかなっていて生存を有利にするので、それを用いない生物や文明を駆逐したからだ。2020年になっても、例えば辺境の島やジャングルには原始的で昔ながらの生活を続ける部族はある。しかし、彼らも、特に彼らの若者たちの間で、より発展した文明の発展した道具、生活を望むものは増えている。珍重なものをありがたがる文明人の一部とか、先祖代々受け継いだ生活を引き継ぐことに並外れた意欲を見せる部族の長老たちの働きがそれらの文化遺産を熱心に継承しようと試みているが、人類、先進文明が終わるのよりもそれらが絶えるのが速いように予測される。

住居の優れた点を挙げると、それは自然な苦しみの克服であることが見いだされる。寝具、便所、台所、冷蔵庫、冷暖房、屋根やカーテン、照明器具。20世紀後期に発明され、生活を全く変容させたという情報機器も、突き詰めれば「遠い位置にいる人間と情報をやり取りできると便利」という発想が引き延ばされたものに過ぎない。情報の共有という概念が印象よりもずっと本能に根差したもので、ハックすることで依然と異なったビジネスを隆盛させられるものではあるにせよ。

 

デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する

 

 

新しい形態で物事を捉え、それを効率的に運用することで極端で凄惨な結果を引き起こした出来事は枚挙にいとまがない。現代日本人にとってはそれは天皇制やファシズム共産主義で、あるいは原子爆弾だったりする。他だと公害問題とか、もっと新しいものにはサリン東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融メルトダウン))が挙げられる。民主主義がイラクベトナムに仕掛けた暴力も知っている。

匿名掲示板やTwitterは、いろいろな煮凝りを発生させている。優しい人と優しくない人、生活の苦しい人と苦しくない人、生きたい人と生きたくない人、即断する人間と曖昧な人間を分断する。それらを第三者気取りで観察するうち、義憤や滑稽を感じることもあるが、最後には憔悴や諦観、やるせなさが残る。自分の拠り所は傍流で、いつかどこかへ、意思にかかわらず押し流される日が来ることの予感があって、きっとどうすることもできない。それは不幸であったとしても事件ではなくて、事故や災害の類なのだろう。きっと生き残った人がいたならば、彼らの中の天才がよりよく制御したり、当面をやり過ごすための方策を見つけ出すのだと思う。

 

 

 誰かが傷つけられていると、それが自分には関係無くても、似た記憶を呼び起こされたり自分にそれが降りかかった時のことを想像してしまう。その時脳には負荷がかかる。ストレスって言うのは脳内で起きてる物理的な現象だ。つまり俺の目に見える範囲で誰かが傷つけられている時、その加害者は見ているだけの俺の脳細胞にも危害を加えているに等しい

幻想再帰のアリュージョニスト(5話)