手紙魔まみ感想73・74
このばかのかわりにあたしがあやまりますって叫んだ森の動物会議
三句目が『あやまりますって』と促音を除いて七音と長い。そこまでは平仮名で会話文。
『動物会議』会話文、つまり人語として『森の動物会議』の状況設定の中で『ばかのかわり』に、『叫んだ』というそれなりに感情的(=動物的)でありつつも論理的(=人間的)な振る舞いをした、ということに注意が向う。『動物会議』も一熟語におしこまれた二つの対立存在がある。
『かわりに』は自我を捨てようとする行為だが『叫』は感情的つまり自己本位的な行為である。前々歌の「被験者」は他人の科学的活動の材料、つまり人間的かつ自己の放棄を意味していたことと対照的である。この歌では『ばか』の陰からではありつつも、『あたし』を『動物』たちの間で主張しようとしているのだ。
「動物」「人間」
氷メロンの山よりふいと顔あげて、ここらで舌をみせたげようか?
『氷メロン』はかき氷のことだろう。シロップの色で舌の色が染まるので、それを相手に見せようとしている。
氷メロンを無我夢中で食っていて、相手を意に介していなかったこと、それを悪びれもしないでかき氷の話を振る。人間が菓子を材料に平和にじゃれあっている様子であり、単純にかわいらしい。
『氷メロンの山』に実現性をどれだけ見るかで、この話が現実か空想かが別れるところだろう。平和な歌が周囲の自意識の鋭敏化したような周りの歌のせいで疑わしく目立つ。
「平和」「会話」「じゃれあい」