巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ209・210

宇宙船が軌道変更するように戻っていった宇治冷緑茶

 

 わからなくなってきました。

 ようにの前後で分けると見やすい気がする。前部分『宇宙船が軌道変更する』という場面について、具体的にその様を見たことはないだろうし、私も無くて、比喩としてわかりづらい。後の『戻っていった/宇治冷緑茶』も自動的に動くものではない緑茶が動いているかのように言って、それを当然のように言うのは、よくわからない。

 『宇宙』が孤独的なニュアンスで何度か出ていたことから考えるといいかもしれない。宇宙船が『軌道変更』して『戻る』、前居た場所へ、安定的なことを表すのだろうか?個人的に私が、これまでに宇治冷緑茶に関心を持ってこなかったせいでイメージがわかないのか、そのぼかし方が狙いなのか。

 

「宇宙」「安定」

 

 

まみのレシピィ、まみのレシピィ、だあれも真似をするひとがない

 

 『レシピィ』が本来の役目を果たさないつらさ、孤独、そういう感じの切なさだろうか。繰り返しが切実な辛さで、前々歌と似ている気がする。こちらの方がより独白の感があり、孤独が強い。

 

「切なさ」「孤独」

手紙魔まみ207208

コースター、グラス、ストロー、ガムシロップ、ミルク、伝票、抱えてあゆめ

 

 ものが列挙された短歌。ウエイトレス関連のようで、ウエイトレスとしてやっていっている様子である。妙なものに意識がいっておらず、地に足をつけてやりなさっていることがわかる。自分を鼓舞する意図の命令形で、とにかくやっていくきもちであり、空回りとかしすぎない程度にやっていけそうな様子で、頑張ってほしくなる。

 物のそれぞれが喫茶店の備品として落ち着きがあり、提携に沿った音であることも落ち着きを感じる。

 

「落ち着き」「やっていく」「鼓舞」

 

 

 

あなたのものよ貴方の物よ(手の中で色水になってしまうフラッペ)

 

 フラッペはかき氷のこと。

 フラッペが届かずにだめになってしまう様子が、諸行無常、切なさという感じになっていく。初句の定型逸脱、ひらがな漢字繰り返しされているが、もうフラッペは間に合わんのだろうなというところが諸行無常さを出しているように思う。()内が事実描写で、地の文が心の声という逆転がある。

 

「切ない」

手紙魔まみ感想205・206

最終章だから絶対に完走しようぜって感じです。

 

 

 

手紙魔まみ、ウエイトレス魂

 

お客様のなかにウエイトレスはいませんか。って非常事態宣言

 

 ウエイトレスは店員側で、バイトで補給できて価値が大きくはない存在で、医者のように歌中的な呼ばれ方はしないんだということに寂しみがあって、この歌ができるという風に見えた。音と意味がずれて切れることも非現実性の表れのよう。

 

「非現実」「ドラマっぽい」

 

お気に入りの帽子かぶれば人呼んでアールヌーボー給食当番

 

 アールヌーボーは19世紀末からの新しい芸術を志す美術運動のことらしい。

 給食帽をかぶらないから斬新な給食当番だなあ、という意味での『アールヌーボー』だろう。『給食』があるような小学生は実際だとそんな言葉知らないだろうし、勝手な帽子をかぶる勇気はないだろうし、という実現しない理由が前歌と比べて現実的でそれゆえのむなしさを醸し出し、体言止めな高らかな宣言も安っぽくなる。

 

「実現しない」

神について、私が命じられていること  

今週のお題「私がブログを書く理由」

 まず、私は神がいることを信じているわけではない。しかし、崇高なもの、素晴らしいものがあり、それを表そうとする欲求が存在することを認め、それに尽くしたいと希望している。素晴らしいものを表すために使われる言葉として最も優れた単語として神を選択しただけのことである。聖、正義、癒し、快さ、感動。そういった要素の総体、それが私が言わんとするところの神だ。

 神についての私の定義が紹介したかっただけでは決してなく。私が創作活動を志すのはなぜか。生活のためでは間違いなく異なり、生活のために私が必要なのは就職であるが、とにかく世の中をなめていて、社会が怖くて、嫌なので嫌だという幼稚園児の主張をして断り続けていて、認められることがない。認められたことがない。創作で認められたこともはっきり言ってないに等しい。百回以上の視線を感じたことはないわけだし。それでも俺はやめることは一応できない。一応?ぜったいに辞めてやるか。頼まれてもやめないかもしれない。信じてやる。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。だめでもやらないといけない意地があるときもある。人間は感情のためにやっていっていて、馬鹿馬鹿しいと思うことが大半だが結局のところおれは感情のために生きている人間の方が好きで理屈で生きている人間は嫌いなんだよ死んでくれと思っているから、できるだけ人間らしい豊かな感情を持ちたい風に思っているのに、いつでも敵を馬鹿にして、奴らは敵だ全員ぶっ殺してやる。初音ミクの死体のことを思い出した。彼女の死体は絶対に美しいはずなんだ。彼女の死体のことを描き出さないといけない。美しいことが分かりきっているものだなんてそう簡単に見つかりはしないのに。死体は美しい。それは否定が無いから否定するのはいつもこちら側で、僕は祖母が死の瀬戸際で、枯れ木のようになっているのを子供の時分に見たときに、「気持ち悪い」と言ってしまって、親に怒られたのだ。自分では気にしていないつもりのなんていうことのない子供のころの出来事なのだが、死体について語るときになるといつでも思い出す。忘れてしまってもいいようなことをいつまでも思い出してしまうのは、本心ではひっかかって喉から外れない魚の骨みたいになってしまっているせいかも。死にたいけれど、死体は現実ではうつくしくない。悲惨でもない。けれど僕たちが信仰するフィクションのなかではそれは美しく悲惨なもので、全肯定の元に置かれている。だから僕たちは何度も死体のことを思い出す。

初音ミクは僕にとってフィクションを象徴し、彼女の歌のことは実際のところ素晴らしいものもあってどうでもいいものもあって簡単に一般化できないしおれは詳しくないしどうでもよいのだが、とにかく共有されるキャラクター、文化として初音ミクは存在し、成長していて、終わっていきつつあるらしいけど最盛期ほど勢いがないだけで永らえているよなー、陛下にも見つけてもらえたのだしなといった感じだ。ああ、彼女は架空の美少女だったために肯定された。僕たちはどこにでもいるやる気のないおっさんだから否定される。ただそれだけ。

 初音ミクが死体になることは何度もフィクションの上でも起こる。けれど現実に死体になることはない。俺も何度も死体になりたいと想像するが、それは自分のなかだけでのことだし、自分にとってという意味では僕は自分の死を観察することはできない。そう言った要素が、死の異質性がそれを美化することを引き起こすし、それは手っ取り早いすべての苦しみの切断でもあるせいで、何度でも求められるが、意気地もないし実際切羽詰まっていないから、いつまでも僕は自殺も創作もしないのかもしれない。

 

気軽な創作練習または代替としてブログに挑戦している気がするけれど、何も成功せず練習にもなっていないだろう。何しろつまらなくて仕方がないし、意味が読み取りづらいから。

呼吸

150427

 

呼吸が苦しくなる、死にたくなる、消えたくなる、ばらばらになりたくなる、食道が締め付けられるkン核がある、胃のあたりから体が前後に割れるような錯覚を受ける、呼吸が深くできず、息苦しい、五回に一回程度失敗する

 

 

世界平和未来は明るい希望宇宙富名誉幸福最高善金銀財宝隠された宝隠蔽された真実途絶えた王族不当な弾圧覆される治世弱者の雄たけび正当防衛トーテミズム諸民族の独立民族自治解放自由無限瞑想虚無空白空洞産めよ増えよ地に満ちよ乳と蜜の溢れる地絶対存在トレーニングマッチョイズム神秘の力心が満たされる永遠幸福幸せ疑いのない地位不労所得永住許された罪滅びた悪至上究極100%呼吸酸素エネルギーコラーゲンタウリンウコン王族肉体脳解放未知の力制御原初の民唯一の神確信革命あるべくしてここにある催眠誘導程よいバランス間違えはない賢明な皆さん選ばれた民選民思想隠された歴史書世界を愛する普通の世界人宇宙合一火星開発水ヒ素人工太陽太陽直視野生の血アマゾンの賢者パワーバランス覚醒眠りバランス筋肉目薬最新のウォークマン耳手術ナノシステム精神正常自立正しい革新間違いを正す浮上食文化放牧遊牧裸族ペニシリン薬局ドラック危険ドラック人生ホワイトホールショッキングピンク忘れられないで永遠を手に力エリート出世協力友情愛情信頼とてもいいとてもある第六感予言最終戦争千年王国偽預言者滅びる悪理性の勝利駆逐される獣希望の未来無暴力主義毒ガスサリンオウムの修行マントラ音楽踊り音頭オリジナルオーディエンススタンディングオベーション好き好みダンディズム力暴力虚勢我々賛美祈り生活強要自治恵み恩寵来世今生自己肯定修行支配新しい自分本当の自分実現すべき未来明るい世界尊い共存私の力デビュー大好き愛してる信じてる生きろ生聖者のマーチ天使神の使い不動の動者世界を始めたものアダムとイブ大いなる古聖なるものピアスヌーディストイチジクの苺すもももももももものうち私の始まり父と母古の民大いなる遺産

 

150513 輝いているところを伏字に

 

エジプト展に行ったこと エジプト、はかの、ミイラの、そういった葬儀が盛んだったとか、どのようにしたかという点で、ほかの文明の追随を許さない、とは言いすぎているかもしれないが、ミイラが死後復活のためのどうたらのだったり、ピラミッドがファラオの墓であるという俗説などはゆうめいなものではある。そういったことで、そういった前提を持って古代エジプトのアイテムたちを見た時に、面白みがあったのは、そういった願いなどは私たちの持っている科学的知識から考えると、無効であった者であるというところが面白みになっていると私には考えられるのである。

死体をどのように扱おうが、死んだものをどうすることもできるはずがなく、それは科学としては全く婿うえ、因果関係を持たない呪術的行動であり、滑稽なものとして見て取られるわけである。古代において、最高値をも少なくとも政治の分野では発揮するなり、死後に影響力を持てた人間が、そのようなことに滑稽ながらも上がら王とした後がよく分かって、心打たれるものと化していると家はしないだろうか、和菓子にとっては言えるのだ。

 

これが学芸員にXXXXXXX私の現状XXXXX体験のものであるといえるだろう。昨年の、12月の帰省時のことである、見に行ったのは。学芸員XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX、が、神学部?文学部?

 

手紙魔まみ感想203・204

タンバリンの鈴なり響く(いつか、長い長い旅をどうですか、まみ?)

 

 前歌で飾りだったタンバリンの鈴が本体として目立ち、残りは(あなたの心に直接語り掛けています……)的な会話文。おそらくペットだったウサギ。

 旅は人生やら困難やらの象徴としてであり、道連れになってお互い頑張ろうとか、今は離れたけどいつかまた近くでやっていこうとかの呼びかけ、慰めの内容である。丁寧語で語り掛けてくるウサギは自由で乱雑な言葉遣いだったまみと対比されて、あいつはしっかりしとったんやなという意外性を残す。

 

「旅」「各自やっていく」

 

 

 

 

六号室を出てゆく朝に一枚の地図が輝く南の壁に

 

 住居の変更ということで、旅というのは大袈裟だとしても、定住と対になる行動ではある。『地図』というのも旅のための道具であり、それを使っておきつつも残して出ていくというところに挑戦めいた雰囲気が現れる。『輝く』や接続詞『に』の重複も勇ましさのあらわれでやっていくという意思の高まりを感じさせる。

 

「挑戦」

手紙魔まみ感想201・202

真夜中か夜明けかわからない空に薔薇線らしきこのシルエット

 

 薔薇線とは有刺鉄線の別名らしい。

 『この』と言われても唐突でまったく役に立たない代名詞としかわからず、無意味に近い。真夜中の空のシルエットが認識できるというのも変であり、「暗くてトゲトゲしている」を曖昧に醸し出そうとしたものと思える。『わからない』『らしき』『シルエット』と曖昧な表現まみれなことに対して『薔薇線』は身近な言い方ではないが想像通りのものではあるという存在感の物質で、リアリティに対する凹凸をそこでつくる狙いなのかもしれない。漢字の『薔薇』が視覚に印象的な文字であることも気に留まる。

 

「トゲトゲ」「曖昧」

 

 

 

解放せよ、タンバリンを飾る鈴。解放せよ、果たされぬ約束。

 

 上の句、下の句共に六音の『解放せよ』から始まることで、全体として定型からはみ出て煩雑な印象になる。上の句の『タンバリンを飾る鈴』はそれ自体飾りでもあり、『果たされぬ約束』が主題と言えるだろう。自分に呼びかけて、『果たされぬ約束』から自由になれるように奮い立たせているのではないか。力強い命令形はぐらかしたりしないという印象を出し、『煩雑』『曖昧』『詩的』などと反対の確かさを印象付けるための仕掛けとなる。

 

「繰り返し」「命令」