手紙魔まみ239・240・241
これで手紙魔まみのすべての歌をやったことになりますね。
じつは、このあいだ、朝 なんでもありません
空白が目を引く歌であり、それ以外の部分を読んでも定型になっていない。しかし、この歌はかなり「わかる」という気持ちを抱かせる歌である。共感を感じさせ、日常にこういうことがよくあることを思い起こさせる。非定型である理由もここにあり、現実の日常は定型短歌ではないからである。言いかけたことをやめるというそれだけのことが、短歌を作るという作業とは真逆のことなのだ。短歌の中では言いたいことが言いたい放題で、むしろ埋まりきらず、思いつきで空白に言葉をねじ込んだりする。しかし現実では言いたいことは言えないことの方が多く、空白には何も入ってこない。
「現実」「空白」
これと同じ手紙を前にもかいたことある気がしつつ、フタタビオクル
「繰り返し」がテーマの歌である。繰り返しているような気もしつつ、やっていく。カタカナは繰り返しからの逸脱の試みであり、繰り返しはいけないという気持ちの表れ。
音は68577になっていて、逸脱から自然に定型へと戻っていく。内容と音が逆の意味を持たされている。
「繰り返し」「逸脱」
夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう
最後の歌。
『手紙』を終えて実際に会うかーってなっていそうな歌。現実の反映としての定型からの逸脱がここでも表れている。『夢』も現実との対比であり、現実にあったら光っているだけではだめでしょうねっていうことだろう。手紙を終え、人はやっていく・・・
「現実」