巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ97・98

時間望遠鏡を覗けば抱き合って眼をとじているふたりがみえる

 

 『時間望遠鏡』という謎の道具が登場し、それを核にして話が進む。時間的なもの、昔又は未来を覗く望遠鏡であると考えられる。『時間望遠鏡を』までで十音、『覗けば』は四音だが、三句目からは定型である。『時間望遠鏡』は常識的に考えても、ありようがない技術のように思えるが、短歌的な意味でも正しくない音数を持ったものとして受け取られる。それを除くと短歌としてより普通なものになる。

 後にある『めをとじている』が『抱き合って』より重要であるように、作中主体には感じられているのだろう。

 『ふたり』が借家の誰かなら、作中主体とはほぼ赤の他人のような存在の誰か、ということなのだろうか。

 「自分がほかの誰とも交換不能な存在である」ということは、人間にとって非常に大きな関心ごとであり、穂村弘もそれが人の創作、娯楽において重要であると短歌本に書いていた。現在の科学技術発達で解決されそうにない『時間』の不交換性を通し、そのことに焦点を当てているような歌。

「時間」

 

 

下半身が自転車の新しい種族、天道虫がすごくこわいの

 

 サイボーグのような『新しい種属』に関する想像についてだろうか。『下半身』、足が自転車、より優れた運動性を持った機械になっている。人間のために作られた世界、車や電車やビルは彼らにとって不便だが、全てが彼らの規格に合わせて作り直されるならば彼らの方が優れたパフォーマンスを発揮するかもしれない。少なくとも、地足での移動能力では彼らが優っている。

 『天道虫がすごくこわい』という特性は、自然の道よりも、より舗道を要求するために、「天の道」を歩くことができないという特徴を揶揄するジョークのように見える。彼らにとっては、ひどい侮蔑後のように感じられる言葉かもしれない。それを、『の』という口語表現で、無邪気さを気取りながら放っているという、狡猾な卑怯さを作中主体から感じさせるのは深読みのし過ぎの気がする。

 「新しい種属」