巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ21・22

世界一汚い爪の持ち主はそれはあたし、と林檎をさくり

 

 自己卑下と林檎を切ることの話。前のフルーツである『苺』と同じように『林檎』が漢字表記であり、他にもカタカナの使われた箇所はない。しかし『あたし』『さくり』などのひらがなは柔らかみがのある語。前歌での外国の強調に対比させて、カタカナの持つ外国風の感覚を排除させる狙いであると考える。

 『爪』の手入れが行き届いていないことを悲観している。正確に評価することは不可能なのに『世界一汚い』と具体的、客観的な見方をしている、ひどく落ち込んでいると思われる。『林檎をさくり』は包丁で林檎を切る様子だと思われる。家事中であると推測。家事、つまり私的な時間内であれば爪の手入れを行うことが可能であるにもかかわらず、それをしない自分を批判的に表現していると思われる。

 林檎はウサギにとって有用な食べ物になり得るものらしい。また、「リンゴうさぎ」という剥き方がある点でも、林檎はウサギと関連するものとして配置されたと考えることができる。ウサギのために剥いている、と解釈するのも突飛ではないだろう。

 

「丁寧」「林檎と兎」

 

 

人と馬のくっついたもの指(?)さしたストローの雫が散る、夜は

 

 情景描写以上の、つまり作者の行動や心情といったものは『(?)』のみ。

 ストローが向いている方向、という内容だが少し前までは使用されているものだっただろうと『雫』からも読み取られる。

 ストローが向いている方向を『指さす』と表現することに疑問を抱いているが、他人や自分が口に出した表現ではなく、頭の中に浮かんだ表現としてだろう。『人と馬のくっついたもの』という紛らわしい表現も見てそのままを文字化しようとする頭脳の自然の働きに任せているのである。自分の頭脳の自然の働きを再確認して検討しようとする、がこの短歌のテーマといえる。

そういった孤独性を通すことで、『ストロー』や『雫』に動詞を与えて気持ちを寄せようとするが、生物をかたどったものである『人と馬のくっついたもの(置物か絵だろうか)』に対しては親しむ様子がない。部屋の中にはあるが自分の行動には関わりがないためだ。「『ストロー』は自分が道具として用いた」、「『雫』はストローを利用した証拠で、時間がたっていないことを示す」のように部屋内という閉鎖空間での私的行動ではあっても自分と関わりのあるものとして親しみがあるもので、他人が想像しただけの融合生物の像とは一線を画する存在感があるのである。

 前半の『くっついた』のような口語、『(?)』という独り言の砕けた雰囲気に対して、下の句では(やや)難読の『雫』が登場したり、体言止めによる時間設定での幕切りは堅く、唐突な印象である。『人と馬の』とゆったりとした字余りの余裕と『雫』が『しず/く』とムリのある区切りになっていることも対比としてとれる。一首内で厳しく緩急を振り回しつつ『人と馬のくっついたもの』というフィクションではじめつつ『夜は』という共通性、リアリティが誰にでも当てはまる時間にフォーカスして終了しており、この歌も「現実・フィクション」の対比が中心にあることがわかる。

 

「フィクション」「リアル」「脳内」「道具への感情移入」