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リストカットについて

いきなり小説ではなく、性癖の話になります。完全にぼくの思うところについて書いてあります。

自分自身のリストカットは苦手で、行っている人に対しては、まず尊敬が浮かびます。筋トレをマメにやって鍛えた肉体を晒している人に向く感情と似たようなものです。

傷跡は好きですが、直に血を眺めるのが苦手なのもあって、中高のときもリスカはそんなにやってませんでした。

 

リストカットは手首を切る行為である。語呂や普及率から、腕を切ったりしてもリストカットと呼ぶことがままある。ある程度異常な行いである。その異常性から、それを行うものを嫌悪する層が一定数ある。

 個人的には、リストカットはとても良いものであると思っている。それは、私が傷や怪我などから美しさを感じ取るためである。この感覚がすべての人に伝わるとは私は思えない。人が何から美的価値、性的興奮などを受け取るかについては、個人差のあるものだ。幼児に興奮するもの、排せつ物に興奮するもの、死体に興奮するもの、同性に興奮するもの。フィクションとしてのそれらは受け付けるが、現実での存在は許せないものなど、線引きについても人によるところがあるだろう。しかし、それを強く否定されることは、悲しい思いになるのだから、どうかやめていただきたいと思う。無視していただけると幸いである。

 美しさ、醜さといったものは、対極の存在ではあるが、対極にあるからこそ、共通しているものがある。それは、感情を強く呼び起こすという点において、同じ性質を持つのだ。とても美しいものは、永遠に見つめていたくなる。醜いものは、目に触れるだけでも汚らしく、自分の価値を下げるかのように感じられる。

 怪我は、見たくないという人が多いだろう。それは、見ることで、その痛みを予想してしまうからだ。しかし、少しだけなら見たい、という好奇心も同時に持つことはそれほど珍しくはない。事故車なども、似た感覚を呼び起こすだろう。少なくとも、私はそうだ。

話がそれるが、エロティックなものは、それを見つめてはいたいが、「それを見つめていることを誰かに発見されること」は嫌うというどちらの能力も持っている。また、「美しいものから、それを美しいと感じることのできる感受性をわたしは持っている」というアピールなどもある。歴史的に多くの人が美しいとして伝えたとされる彫刻、大自然、修辞を凝らした詩、高級とされる料理などにおいて、これらのことは見られる。

怪我、出血は死を連想させるものであり、それは生と逆の状態である。生は全ての人間が共通して持つ感覚であり、『感覚である』ということをわざわざ思考することすら、多くの人間は汚らわしいと感じているようである。それは、生を考えることは、そのまま死を考えることにつながってしまうからだ、と思う。

……何が言いたいのかわからなくなってきた。ともかく、私は血を見ると、とても美しいと思う。言いたいことはそれだけなのだ。赤は生命の色だ。すべての人間の肉体には、この液体が流れているのだ。それを思い出すことはとても素敵なのだ。傷ができると、健康な肉体と十分な栄養を持っていれば、本人が意識するまでもなく、傷は治癒されていくのだ。血が固まる。その下で、裂け目をふさぐ川が生まれてくる。そうして、傷があったところには、うっすらとした白い跡が、新しい皮膚がある。だんだんとなじみ、目立たなくなっていく、あぁ、文字にするだけで興奮してくるほどに、気持ちの良い生理現象ではないか。これをすべての人に伝えることができないことが本当に残念だと思うほどに、これは興味深い現象なのだ。かさぶたが綺麗にとれた時の感覚を気持ちがよいと思うことは、すべての人に共通するものではないのか?

鍛え上げた筋肉を喜ぶものがいるように、傷跡を見ることで美しいと感じるものもあるのだ。リストカッターが写真をアップすることを嫌悪する人もいるようだが、どうか目をつぶってはいただけないだろうか。