巣/人生の意味/植毛

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シンジケート感想143・144

ベーカリーのパンばさみ鳴れ真実の恋はすなわち質より量と

 

 『ベーカリーのパンばさみ』へ『鳴れ』と命令し、しかもその内容は『真実の恋はすなわち質より量』。無生物で、本来の目的がしゃべることでも音を出すことでもない物へ、意味のこもったメッセージを要求するということで、作中主体の心情としてはそれほどまでにその内容について、肯定を求めているのだろう。

 『真実の恋はすなわち質より量』は一般的な考え方からするとむしろ逆の「量より質」が支持されるものであると思われる。恋の量、質について、何人との恋愛関係、両想いという状態を経験したかということを量、一人に対する恋を持続することが質とする。質を追求しようとすると、浮気や相手をとっかえひっかえという状況になるはずで、それは現代日本では一般的に推奨されるものではない。

 ただし、『恋』という語に注目する必要もある。浮気が法律上罰せられることの根拠には「夫婦間には貞操義務が発生する」ということがある。恋愛相手については、その個人にとっての評価に影響するだけだ。つまり、とっかえひっかえは当然のこと、浮気をしたとしても法律によって賠償を請求することはできない。制裁は個人同士の関係に限定され、社会的に罪を負うことはない。ある意味でグレーゾーンでは、とは思えなくもない。

 作中主体としてはごたごたあった結果として、グレーゾーンか、どうかと悩んでいる。そこで、物にでもいいから、誰かに肯定してほしい、と願っているのだ。

 

 

 

 

手をとって木立をゆけば糸となる水は輝く蜘蛛のお尻に

 

 『手をとって』というプラトニックな恋愛を想起させる語に始まり、幻想性を含む『糸となる』、『水は輝く』までが美しい語で占められているが、最後の『お尻に』はかわいらしさのある語で、緊張しすぎない様にされている。