シンジケート感想127・128
目をみちゃだめ
前夜(イブ)のための前戯か頬をうちあえばあかあかと唐がらしの花環(リース)
『前夜(イブ)』とあるから、『花環(リース)』はクリスマスリースと想像される。
頬を打ち合ったので、腫れてあかあかと見え、唐辛子のリースのようだ、ということなのだろうか。その比喩に共感ができないし、読み取りがあっていない気もする。
『頬』が穴の開いた環であるという比喩に納得できない、唐辛子でリースを作ることに納得できない、腫れた皮膚は唐辛子ほど赤くはないのではないか、と軽く考えただけでも三重に疑問がわく。
『前夜』『前戯』は『前』が共通。クリスマスはイブが本体という部分が特に日本では大きいということもある。イブの『前戯』として殴り合いをしておき、イブは仲良くやろうということなのだろうか。
確信が罪にちかづくゆうぐれをあやまちて頬にさせる目ぐすり
『ゆうぐれを』の『を』が解からなかった。現代語の格助詞をではないと思う。「を」と「に」があいまいに扱われることがあるので、「に」の意味で取る。
『確信が罪にちかづく』とあるが、思考のみで罪となることは実際にはない。『確信』後に何かしらの行動をとることを決定しているのだろうか。推測としては、その相手に対して親、教師などの責任がある立場で、知ってしまったからには止めなければいけない、という状況だとか。
『頬』は前の首とも共通の語である。「目」と「頬」という『あやまち』ではなく、「めぐすり」と「頬のくすり」という『あやまち』なのかもしれない。
解釈が推測だらけになってしまったが、そういうぼかし気味な首だということである。『罪』という語が強く、『ゆうぐれ』『あやまち』という言葉を相まって全体を重い雰囲気にしている。