手紙魔まみ感想49・50
幸福な王子の肩に従順なツカイパシリの鳥がいたこと
『幸福な王子』はオスカーワイルドによる教訓小説だが、機械仕掛けの神でいきなり彼岸においての価値が示されることにシュールな面白味を感じる。元々金の像と鳥が会話している時点でかなりメルヘンで、そこに現実的貧困に苦しむ町民がウロウロしていて混沌を感じる。
そういう風に、『幸福な王子』は教訓という主題と子供向けという狙いの二つの板挟みで、探せば突っ込みどころだらけである。しかし、その二つが突っ込みは「野暮」だという風な盾として機能している面もある。
ここで行われている「野暮」なツッコミは、『王子』と『鳥』の関係は『パシリ』ではという話である。実際、おはなしの中でも鳥はいやいやつき合わされた挙句冬渡りができずに死ぬ。話の核となる部分にまでツッコミどころがあって、いくらでも水が差せるのである。
それでも感動っぽいものに終着点が置けるということに話自体の重要さなどを感じさせる。
「パシリ」「作品」
ハピバスディ・ディア・ターザン・バイ・レインボー・ハイスクール・バトンガールズ
カタカナというか、英語での誕生日祝いの歌を、『レインボー・ハイスクール・バトンガールズ』から『ターザン』へ送っている。バトンガールズを回しながら行進するパフォーマンスをする人たちのことをバトンガールズというらしい。
個人と個人(『ガールズ』は団体だが)の間の祝いという個人的な出来事であり、定型的呪文のように唱えられる英語としてのお祝いの言葉から、無が伝わってくる。読み手も作中主体も関わらない、他人と他人の空々しいコミュニケーションの様子がカタカナと中点だけの短歌という形から感じられる。
「祝い」「空々しい」