巣/人生の意味/植毛

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シンジケート感想88・89

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

 

 『サバンナの象のうんこ』という唐突でユーモアがある装置。それに『よ』と呼びかけ、『聞いてくれだるいせつないこわいさみしい』と気持ちを告白している。どれもネガティブワードで、平仮名でひたすら形容詞を続けて繰り返すことで、リズムもあり、非常に切迫したものもある。

 実際には言葉を解さないであろうものへつらい気持ちをつらつらと述べるということは気持ちとしてわかるし、やる人間もそれなりにいるのだろう。ペット、植物などならありそうだ。しかし、『サバンナの象のうんこ』は事実としてはあり得ないだろう。像がいるようなサバンナへはなかなか行けるものではない。しかし、だからこそ詩として成り立つというところがある。また、完全にフィクションであるからこそ、原因などは全く考慮しない、『だるいせつないこわいさみしい』という気持ちの吐露もフィクションのように見せかけることでだらだらと言えると部分がある。

 実際、何がという具体的な不安があるわけではないのだろう、漠然とあらゆるものに対する不安が『だるいせつないこわいさみしい』であると思う。連続させると、後半でより本心に近づいているような効果も出る。

 

 

「前世は鹿です」なんて嘘をためらわぬお前と踊ってみたい

 

 やや変則的。四・七・五・七・七と切ればそれほど定型から外れているようには見えない気もするが、一句、二句は会話文の途中で切れ、三句、四句が意味上では切れないので所見ではわかりづらい。

 『お前と踊ってみたい』で恋愛歌らしいとわかる。『お前』は『嘘をためらわぬ』性格をしており、『「前世は鹿です」』などという。

 なんとなく、『「前世は鹿です」』は初対面時のセリフという感じがある。前世について確かめる手段は特にないということを考えるとこれが『嘘』であると直ちに判断できるか、というとできないだろうが、それをわかっているからこその嘘、ではあるだろう。確かめられないことなら初対面でも平気でうそをつく、それはユーモアなのかもしれないが、実際にもいつでも嘘をついてやり過ごすようなかもしれない。それでも『踊ってみたい』、あわよくば付き合いたいというような、スリルを求める感覚についての歌なのだろうか?

 切れ目が分かりにくいことも、つかみどころのない『お前』を連想させるものになっている。