巣/人生の意味/植毛

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シンジケート感想78・79

腱鞘炎に祝福を 黒鍵は触れるそばからパセリの色に

 

 腱鞘は手や足の腱の周りを包み込む部分。関節の動きにとって重要。ピアニストや漫画家などの手先を酷使する職業の方は腱鞘炎になりやすいらしい。黒鍵はピアノの黒い鍵盤。

 『腱鞘炎に祝福を』は腱鞘炎を起こすほどの練習をしたことをほめたたえている。

 『触れるそばからパセリの色に』は非現実的現象。無茶をしようとするピアノ奏者を止めようとしているのか。パセリのような緑色になったとしてもそれを『パセリ』と解釈するからにはパセリに特別の思い入れがあるはずだ。栄養価は優秀らしいが、日本人は料理の飾りとしてのパセリを食べることは少ない。苦いし、嫌われ者、はみ出し者、という印象もある。

 無茶をするな、と言いたいのだろうか。

 

五月 神父のあやまちはシャンプーと思って掌にとったリンス

 

 掌の読みは「てのひら」。

 微妙に句の切れ目がわかりにくい。『五月/神父のあやまちは/シャンプーと/思って掌/にとったリンス』一句、二句は合わせて十二音だが空白で仕切られている。四句目の『思って掌』は八音になっていて、仮に『思い』にしても意味上では大きく変化はないのだから、意識的に促音を含む『思って』が選択されたとみるべき。五句では格助詞の『に』が頭に来て、『とった』の促音に続き、独特のリズムとなる。

 シャンプーとリンスを間違えてとるということは、誰にでもあるようなミスで、それをわざわざ『神父のあやまち』と表現することに、おかしみ、不気味さがある。本当は別に何化したのか、と勘繰らせるような。盛り上げて、笑わせるようなオチをつける技法

 『五月 神父』というと、シンジケート冒頭のそれぞれの月の首では五月には牧師が出たことが思い出されるが、あまり無理に結びつけようというほどでもない。

 

撥音と促音で思い違えがあった。