巣/人生の意味/植毛

ソシャゲ、漫画、web小説、短歌/サブカル色々/男、専学、誕生年1994/利己翔とも/ツイッター https://twitter.com/kakeruuriko?lang=ja

ブラザーコンプレックス

なんでこの頃急に昔のこと振り返って文章書いたりしてんの?死ぬ準備か?と脳内の自分が言ってくるんですけど、全然死ぬつもりはないです。けれど、最近の社会の動きとかに怖いなーという気持ちはあります。今年就活のはずだったけど、それすらどうなっていくのやら分からなくなってきたし、不安が高まって人生について顧みてるんでしょう。

自分の過去の話を書くことに自己カウンセリングのようなものを見出していて、前向きな居心地の悪さが発生するけど、3日くらいたつといい感じになってきます。話しでもいいけれど、うまく話す相手もいないし、ブログにおいておくと碑になるし。

ブログとTwitterのつながりというか、実際ここにTwitterの延長のノリで書いているのだが、加減がわからないなーって。自分の感情の重さ、気持ち悪さというテーマ。告白。秘密を抱えていることはつらく、本当の自分を知ってもらいたいという願望。結局私はそれが常人よりも強い、思春期の頃にバランスよくそれらをやっておかなかった報いのような気がします。露骨に性の話を試みるのもそういう表れや甘えでしょう。

 

 

 

 

シコらない日が2日続くと自傷したくなってくるんだよなと考えていたが、冷静に考えて性依存症の範疇に入るのではないか。別にだからといって何か特別の対処を取るつもりも無く、シコって寝ればそれなりに正常の気持ちになると思っている。自慰と自傷、漢字だけ見ると対概念っぽい。

これまで生きてきて、コミュニケーションとしてセックスをしたいと思った人間が一人だけいる、どうもそのように思える。恋愛感情を抱いた人間は小中高諸々でそれぞれ意識した人はいた。実際にこちらから発展的な働きかけの欲望はない。しかし集団の中の一人の女性に秘密の地位を与えて勝手に特殊な見方をする、その程度の恋愛をやった。それは結局、性の対象ではなかった。俺は長らく性の対象をアニメキャラクターに限定していたからだ。

自慰を覚えたのは中二だ。中学受験で市内の私立一貫校に通うようになっていたが、生来の気質のため中学デビューに失敗、まともに友達を作らなかった。中学生くらいだと勝手に話しかけてくる親切な変わり者もいるのだが、俺が無視に近い対応しかとられないので徐々にお節介は減った。根で育ちのいい奴らなので、いじめに発展させることなど全くなく、行事などは妙な丁寧さで扱われた。

さて、三次元性嫌悪のきっかけじみたものも覚えている。ポケモン攻略サイトリンク集というものがあって、そこからポケモン攻略サイトを漁っていた小学生の頃のことだ。『性の館』みたいないわゆる荒らしなりブラクラが置いてあって、無邪気な性への好奇心から開くと不倫系出会いサイトっぽいものが現れた。『今夜は指輪、外してきました』『お金と身体だけの関係』などの謳い文句と30~40代の人間どもの裸やセックスの画像があり、怖くなった気がする。

三次元の性は、ある種の課題となった。意識していた実在の女性について性的な想像を働かせようとしたことはあったが、うまく言ったためしはなかった。このことにより、自分が純粋・純情であることについて肯定的に評価する気はしなかった。むしろ性的に不能であるという欠失を感じた。

閉じたコミュニティでは、強力な性的願望を持っていること、変態的であることが英雄的に評価される。現在、例えば最も典型的な例はインターネットで見られる。特にr18創作者のコミュニティを見物すれば、変態性は創造性と同じもの、あるいはその源としてのさらなる過大な評価を与えられている。昔の私は人間と対面コミュニケーションを取れなかったし、インターネットも完全に受動的に運用していたので、表現や意見表明をかなり欠いて生活していた。自己否定感が強く、創造性、あるいは本物の性欲もまた、自分には手の届かず手に入れられないものの一つだった。

「かなり欠いて」は意図的な表現だ。ほんの少しの人間的交流はあり、家族のことだ。我が家は四人家族だった。弟は三才差でオタク寄りの基質にそれなりに似通ったところがあった。いくらか兄貴風を吹かせられたし、暴力もいい勝負だった。弟は俺のことを名前の呼び捨てで呼んだ。俺も弟を呼び捨てで呼ぶので、対等であるかのように感じられ、丁度よかった。喧嘩をしたときに嫌がらせで彼がお兄ちゃんという言葉を使ったことがあったが、私がそれを強く拒否したおかげだろうか、それは二度と繰り返されなかった。少なくとも、記憶の上ではそういうことになっている。

それで、俺がセックスしたかった相手というのは結局弟のことになるが、直接的な意味ではないのだ。俺も弟も男だしヘテロで、現実的にそれは成立しないのだ。だから、俺のセックス願望というのは「私が女であれば、弟をセックスで支配できたのに」という過程を前提にした鬱屈だった。弟が女であればと思ったことはあまりなかったし、単純に割りと嫌だった。女性嫌悪があったし、弟を暴力で支配したかったのではなかったから。これは女性嫌悪と羨望が入り交じった上での夢想であり、念入りに分かるように書き表すことは一応可能であると思われるが、典型的でもあるだろうその作業を実行してこの文章を長くする気力はない。また、実際にこのテーマで自慰をしたことはなく、現実として起こることが有り得ないので道徳的にこれで苦しんだという気もしてない。

妄想性奴というのを持っていた時期がある。妄想彼女の話をする人がタイムラインにいたり、アでも話題になるので結構考えることがあるのだが、俺が持っていたのは性奴だった。それは架空の弟で、『お兄ちゃん』呼びをさせるものだった。長いあいだ、このテーマは謎だった、自分は基本的にヘテロで男を対象に性的消費した回数は20には届かないだろうから、妄想性奴もきっと1年と保たなかった。けどそういう人格を創造し、使いつぶして無造作に捨てたはずだった、けれど無造作に捨てたことまで記憶に残したままにして、いつか考えるべきカウンセリングの議題としてしまった。

性転換して弟を性的に支配する願望についても長らく封印していたが、いろいろ振り返ったので溢れて、思考上に並列させることになってしまった。それだけの話だ。決して創造性、発展性のない告白がここには書き連ねられる。

告白のテーマだと、一度心の問題について強く弟に打ち明けたことがある。「自傷したいので俺が自分の腕を切りつけることについて許可を出して、それを見ていてくれ」というような内容だった。キモいからそんなこと言わないでくれと言われて終わったのだが、否定されることの快感について認識したターニングポイントかもしれない。

書きたいこと書ききった気がするので切り上げる。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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露骨…