巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想197・198

「この道はまみのためにつくられたんだ」(神様、まみを、終わらせて)パチン

 

 自殺願望がテーマになると、服地テーマとして周囲の反応というものが現れてくる。そうした場合、家族、親というのは比重がデカい。昔から知っていて、人生の大部分が子である自分へ投資されていて、それが自分から死ぬことに一番納得しないだろう存在だからだろう。親に死にたいというと、「われわれがお前のためにどれだけ~」という内容の説教を食らうに違いない。『まみのために』もそういうニュアンスの元にある。また、親の敷いたレールを沿って人生を行くという、人生と道の比喩のこともあるのだろう、自殺は明らかに親が用意していない道である。親に用意された道を行くことへの抵抗が自殺願望として現れるということもあるだろう。

 

「親」「従い」「自死

 

 

 

「ウサギにも男の遊びを教えよう」(神様、まみを、終わらせて)パチン

 

 『男の遊び』というとセックスの系統にあるナンカなのだろうというところ。『まみ』は明確に女なので異性間のまなざし論とかが絡まった感情が提出されるものと思われる。戯れにセックスに関わらされる気持ち、ウサギがセックスを象徴することがここにきて色合い濃くされるし、『教えよう』が立場の上のものからの情けという表れで、対等ではないセックス、つまり性的搾取……。

 要するに僕の感想は本当に言語化が難しいということ、僕は男なので女目線の短歌を作中主体から見ようとする方法ではまったくうまくいかないということ、手に余るのでぼかしぼかしにしておきますということです。

 

「セックス」「性的搾取」「まなざし」