手紙魔まみ感想189・190
ぼたん雪のなかでみつめるおとなしいおとなしい教習車の群れを
意味の句切れが定型から外れている。また、『ぼたん雪のなかで』『おとなしいおとなしい教習車』『教習車の群れ』のあたりに意味の違和感もある。ありえない、過ぎた強調、ありえないという風に。『ぼたん雪』に始まり倒置法で終わらせるという風情が違和感をかき消しているように思える。一見しては静かで風情がありそうに見える。
「違和感」「雰囲気」
揚げイモをよろこぶ笑顔。メッセンジャー、伝えて、まみは、魂を、売る
前半ではクソさもしい日常から刺激を見出し、無理にでも前向きになろうという気概。後半ではそういう生き方に疲れて、途切れ途切れになりながらこの感情を切り売りしながら生きながらえる様子を『魂を、売る』と表現している。
前歌と比べると、勢いは句点の乱用で異様なほどそがれているし、『揚げイモ』はかなり風情などとは遠そうな、ごつごつ感がある。一般的な「ポテトフライ」という用語を避けるのも『魂を、売る』一環としての苦行なのかもしれない。ありふれていないことを価値にしようと試みているが『魂を売る』はこの世界の誰もが悩まされているありふれた苦しみであることがつらみだ。
「希少価値」