手紙魔まみ感想180・181
一点透視図法の奥に静かなる三角山がみえております
専門用語的な図画技法、文章的修飾、ガイド語が混合されている。読み言葉、聞き言葉といった方向が強く、短歌とも話し言葉とも違うベクトルで、違和感が滲む。
ひときわ目立っているように思われるのは『みえております』の五句目である。話される語としてだけではなく、全てひらがなという四角方面からも注目を誘導してくる。バスガイド的な話し方、旅行的で日常からリフレッシュを狙っているのだなあだが、旅行は帰ることが前提だし、日常のことも芯から憎んでいる人間のすることではなくてなんだかんだ日常のことも嫌いじゃないよという立場の人間の娯楽なんだよな、憩ってください。
読書というのは日常的に可能な楽しみでもあるが、はまりすぎると生活主義者に不審がられたり短歌にこりだしたり外出や旅行を憎みだすので、、、というのはほとんど自分の周囲だけの話なので一般化全くできないや。境界の設定がうまくいかねえ。
とにかく対比があると思います。
「違和感」「対比」
洗濯機の前でぼおっとしていたら手の甲に虫とまって、とんだ
洗濯機は家電製品で、どうしようもなく日常であり、近代的工業発達の恵みを実感させてくれるガジェット。力強く、黙々と働きものであって、一人暮らしでも結構世話になるし、干すという作業は必須だしそれに備えてぼおっとしたりすることもありそう。
自分の身体や虫はそのような文化的な機器ではない生き物で、虫は活動的で、自分は活動的ではない。つまり
活動的・機械⇔静的・生き物⇔活動的・生き物
という対比があるというか、虫も一瞬止まるし、洗濯機も稼働している状態は全時間としては少なくて、それに対して作中主体であるわたしこと人間はだらだらとしつつも動き続けるし頭はしょうもないことがグルグルさせつつもはっきりとした切り替わりはなくのろのろしていくのだなあ、ということへの焦りを幻視する。メリハリをつけることへの不器用さが現れているのが五句目の句点で、唐突に不自然な句点は自分と他のスピードの違いの劣等感的な表れに読める。リズムが合わせられないのだ。つまりは違和感である。
「静・動」「リズム」