巣/人生の意味/植毛

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シンジケート感想82・83

 

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

 

 この短歌から浮かび上がる情景は、薄暗い部屋で一人でいて冷蔵庫を開けて作業しようとしたら、ふいに涙が流れてきた、という感じだった。まず、涙について、視覚による理解をしているので真っ暗な冷でないことについては間違いがないのだが、部屋の明るさは特に参考になるものはないはずである。別に明るい部屋である可能性もあり、そう見る人もいるだろう。この印象がどこから生まれたかというと二句目の『おれのもんかよ』の影響が大きい。話し言葉であり、なんとなく覚えのある感覚のするセリフだ。漫画や映画でこういったことを言いそうなシーンを見たことのあると、情報量が限られているので、その既視感をかぶせるため、限定が起こる。

 こういったシーンを短歌にするときに重要なのは、「限定的すぎるようにならないようにしろ」ということであることを穂村氏の短歌評論書に書いてあった。作者自身が作品に共感しすぎると、作品として完成度が落ちる。ややいびつな点を作ることで強調していくことが必要。そういった部分になるのが後半で、『涙』はわかりきっているともいえるから、『冷蔵庫の卵置き場に』が鍵。『冷蔵庫の』は字余りで、引っ掛かりになる。

 けれどそう考えてみると、それほどいびつすぎるものではない。現実として存在するものではある。日常生活のふとした拍子に、という状況設定にしたことが特徴的なのか?(「よく見る漫画」では大会に負けた時などで、非日常性が強い)

 

 

生まれたてのミルクの膜に祝福の砂糖を 弱い奴は悪い奴

 

 空白が妙な位置で定型ではない。六・七・五・四・十一(or六・五)のようになり、三十三音。三十一音ではない。

 空白後の『弱い奴は悪い奴』も漫画的なセリフで、悪役らしさがあるが、実生活でも心のうちによく唱えることがある。『弱い奴』が自分であることも、相手であることもあり、前者では「自分は弱いからこのような理不尽な目に合う、弱いことが悪いことなのだから仕方がない」、後者では「相手が弱いから自分は相手をしいたげている、弱いことが悪いこと、自分は悪くない」という風になり、現状肯定に使う感じか。

 『ミルクの膜』は温めるとできる膜のことだろう。『砂糖』を入れることは別に『祝福』でもなく、飲むのに砂糖を入れたいだけなのだろうが、わざわざ祝福と言ってみせるのは漫画的な悪役っぽさがある。