巣/人生の意味/植毛

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夕焼けと、曖昧だった頃の話

久し振りにブログに文章でも残そうと思ったが、凄くどうでもいいことを書きたいと思ったので夕焼けのことを書こうと思う。私は夕焼けがとても好きだ。深い赤色が雲や山やなんやかんやに影を差す様子はいつ見てもいい。また、よっぽど曇ってないなら大体の日に見える気がするのもいい。実際、今日は曇がやや晴れてきたところに夕日がどうにか差すというシチュエーションだった。

実際まだ大阪に来て半年だ。八月は帰省していたのでこの土地にはかなり慣れていないと言える。夕焼けはやたらと郷愁に接続されやすいところがある。私に懐かしむべき過去があると言えるだろうか。小学生の頃は楽しかった。中学生はつらかった。高校になると慣れた。小中では地元から夕焼けを見ていたのかもしれない。机の向かい側に西向きの窓が付いていた。高校になると夜10時まで塾に入り浸っていたけど、学校と塾のつなぎ目の時間に夕焼けが見えることもあった。

大学では、夜遅くまで拘束されることはあまりなかった。研究室に入るまでは。

研究室に入ると、特に夜が早まる頃からは、7時前まで位は研究室で作業していた方がいい感じの空気になった。だから私は研究室にいたが、研究は好きではなかったから、インターネットで遊んでいることが多かった。SCP財団やニンジャスレイヤーにハマったこともあって、退屈することはなかった。三つくらいスライドガラスを作り、それを見た後は、ネットコンテンツを読むかブログにする短歌ネタを弄っていた。研究は別に楽しくなかったが、研究室は楽しかった。実際先生はいい人だったし。

それでもずっとパソコンの前に座っているのは、娯楽をしていても疲れるのだ。その頃の俺は今よりも目のコンディションがよろしくなかった。地元に戻って目医者で目薬をもらうと3,4ヶ月で改善したので薬局のヤツとかでごまかしている人は目医者に行くといいと思う。ともかくその頃はそんな感じで、5時頃になると疲れてきたのだ。だからパソコンを閉じて、大学の一番上に昇った。

その大学は山の上にある塔みたいな建物で、ガラス張りの階段から海が見えた。そこに沈む夕日も。俺はそこから、海や空を眺めたり、夕日を反射する蜘蛛の巣を眺めることが出来た。結局そこでスマホを触り、Twitterを開くこともあった。機材とかのある屋上は施錠されていたが、そこに行きたくはなかったので気にもとめなかった。俺は、大学の一番高いところで座ったり寝転んだりしながらぼんやりしていた。

その時期には、大卒後に何もしないことは明らかだった。親はそれが不安らしかったが、先生が俺のことを大して気にとめず楽観していたので居心地を良くしていた。彼は当然大学教授と呼ぶべきだったのだろうが、実際一年目と言うこともあり、若く曖昧だった。彼の指示通り、私はだらだらとではあるが確かに卒業論文は完成させられそうだった。将来は不安だったが、1,2年後は不安ではなく、無責任に娯楽を消費することで遠すぎる未来をさらに曖昧にすることが出来た。

そういう時間、そういう気分で見る夕焼けが最高だった。あの時の私が感じていたのはノスタルジアではなかったかもしれないが、その時を回想する今の私はノスタルジアに浸っていると言えるのかもしれない。

なんにせよ、事実に意味は無く、意味づけされたものは既に事実ではないに過ぎない。