巣/人生の意味/植毛

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フィギュアとはんだごての思い出・それまでの世界観・昔話編

 

R18Gを含む内容です。適宜心構えをしたり、ゾーニングしたり、18歳未満の方は読まないでください。

 

多少自分の男性器も出演しますが、自慰の範囲なのでエロ部分としてはR15程度だと贔屓目ながら思います。

 

すごい自分語りもあって恥ずかしいですが、世界観が変わるというなら変わる前と後について熱心に解説すべきでしょう。そうですよね?

 

 

 

短くまとめると

 

『「フィギュアとはんだごてでセックスする動画」を①見つけて②(それまでのあらすじ・世界観)③見て、真似しようと思い④真似したら⑤よかった(世界観変化後)』

 

という話です。『フィギュアとはんだごてでセックスする動画』については私がそれを知るきっかけとなり、また提唱者でもある『じらー@フィギュアとはんだごて(@zillah8852)』氏を参考にされるのも良いと思います。

 

  すごく長い気がしてきたので分割しながら置いていきます。前回が『見つけて』編で、今回が『それまでのあらすじ』編、次回以降『見て、真似しよう(準備)』編、『真似したら』編、『良かった』編程度に分かれるだろうと思っています。

 あと、折りたたむ後だと関連商品がツイッターの画像へ出ないっぽいので折りたたむ前に置いてみます。重複テーマありの気がする『輪るピングドラム』です。今回「何者」周りの話をするので……。そういう就活映画は怖いので視界に入れてません。就活恐怖は解決していないし、この周りの気持ちが解決してないからこういうことをブログ長文するのだとでも思ってください。

 

 

 

 

注意事項:フィギュアとはんだごては実在する他人や自分のことを肉体・精神を問わず傷つける行為について推奨するものではありません。

 

以下が本題となります。

 

 いっそ、生後からの世界観について振り返ってみよう。

 現代日本中流以上の家庭で幸福に育ったこどもはまず、「世界は自分のために存在している」という世界観を持ってすくすくと育つのではないかと思う。祝福された世界の中で、途方も無く巨大な悲しみはなかった。他人の真似をしていれば良かった時代。ただ話したり、歩いたり、歌うだけのことで大騒ぎになるような、苦しみを抱え続けるだけの記憶力が無いような。

 幼稚園や小学校をやっている内にこのこどもらしい思い込みが転換されると、世界の中で自分の居場所を模索し始める。私はそれを金銭のやりとりの中にあるのだと考えた。驚くべきことに、小学生の私は早く働きたくて仕方が無かった。私は誰かのために自分が働けることを疑わなかった。運動は出来ないがテストはいつでも平均よりよく、自分は優秀寄りの人間だと信じていた。何も考えないまま将来の夢を目標と言い換え、サラリーマンになると言えば大人になれる気がしていた。サラリーマンの仕事がなんなのかは知らなかったが、とにかく会社に入って指示通りにするのだろうと推測した。

 この世界観は中学校で崩壊した。地方中高一貫私立進学校で、私の成績は中の下だった。そこそこ勉強していたら中の上程度にはなったが、成績一本で自分が有益な存在であることを過信することは出来なくなった。体力知力家柄人柄、全部が優秀でもそれすらありふれたことの内だ。こんなド地方の学校で、既に!ついでに、人間と友好することが完全に無理であることが露呈した。その件については前にも書いた。次のような調子だ。


axetemple12.hatenablog.com

 

 そうして、私は誰のために存在しているわけでもないことを理解した。しかし、私は既に生きているだけで何かを犠牲にしていることも叩き込まれていた。呼吸するだけで環境は悪化し、食事や排泄で他人の労働にかかり切りだ。親は私へ多大なコストを支払っており、投資に対して成果を出す義務を課されていた。有益な存在になるのは、恐ろしい試練であると同時に義務であった。

 あらゆる方法で判定される、選別されるという想像。青年期の人間にありきたりの悩み。能力性格見た目ユーモア、気遣い清潔感姿勢声色。人と区別出来て利点になるもの。友人、恋人、従業員、就労者とにかく何らかの個人としての自分の明確な長所、そういう物を持たないまま人間でいられるのかということ。自分が世界に存在する必要が果たしてあるのかどうか、自分は何者にもなれないのではないか?

 そのような中でも、何かになりたいと思うより、既に何かである存在を妬む気持ちが強かった。何を理想や目標にしていいのか分からなかったことや、意外と時が来れば何でも無く解決してしまうのではないかという当ての無い楽観視などがそうさせたなどと言い訳できるが、単に性根がグズといって、あながち外していないだろう。

 それは自慰の燃料、性的対象物にも同じである(やっと前回の続きにつながった)。ミソジニーへと向かいかねない流れだが、私にとって性的対象とは常にR18 表現物だった。AVやきわどい写真から、実在存在を想起することを恐れていた。自分の欲望が加害性を含んでいることを、なるべく意識したくなかったらしい。自分で釣った魚を締めたがらないのと似ている気がする。ともかく実写(これを3次元と呼ぶ向きもあったが、私はそれが異様に気にくわなかった)は回避したので、単純にエロ漫画やエロゲームのみを性的対象として認識していた。同人という形態がよく見つかったが、全年齢一次表現から自慰を行えないことを想像力の貧困のように感じ、それもまたみじめだったのだが、それは生理的嫌悪とまではならないので実用した。

 そのようにして同人R18 表現物で性的対象に選ばれたキャラクターはある意味で「何者か」に見えたのだが、そういう対象で私の中で重大な位置にいたのが初音ミクだった。初音ミクの同人エロゲーム動画による精通体験が、ある種のトラウマのように脳に刻み込まれていた。曖昧にエロいものを探しながらユーチューブを漂っていた際の出来事だったが、射精を発見してからはエロいものをユーチューブで探さなくなった。初音ミクは限られた「承認された存在」であると認識され、私は初音ミクに異様に執着した。まるで、初音ミクへ復讐しなければならないかのように。

 そう考えていた私をある程度落ち着かせたのが、初音ミク虐待という創作だった。ここで初音ミクボーカロイドというアンドロイドとして扱われている。概ね歌うことを想定して作られたアンドロイドなのだが、人と変わらないレベルの受け答えが可能なことが多い。上記同人エロゲにもみられる、初音ミク創作に定番の設定だ。初音ミク虐待では、それを所有者が虐待するが、「修理が出来るから」「人間ではないから」などの理由付けがなされる。不条理物では無いのである。物理的な損傷は大した意味がないし、付け替えるのは手間なので、心的加害の場合が多く、優秀な人工知能のために、初音ミクはそれらに素直に傷つき続ける。それでも加害者を憎むことがないのは、そういった機能が人工知能に搭載されていないためである。加害者はそれについても指摘する。「お前は本物の感情を持たないのだよ」それでも初音ミクは、愛情や好意と言った、都合の良い感情のみを向け続ける。そう作られた機械だからだ。形を変えながらひたすら加害は繰り返され、関係性には何の進展も発生しない。まるで、時間が経過しない国民的長寿アニメのように。

 ある程度と言ったように、それは私の心を満たしきらなかった。一つの大きな要因として、現実世界には初音ミクが不在だった。実在しないが故に初音ミクは無敵だったし、少なくともインターネットで初音ミクは常に愛されているとしか思えなかった。初音ミク虐待表現は未熟な抵抗のように思えた。不健全な嫉妬で初音ミクを拒み続けるのは、何度拒んでも愛し返してくれるからだ。要するに甘えているのだ、実在しないが為に容量すら存在しない、無限の慈愛に。

 フィギュアを傷つけることを考えても、それでは初音ミクを征服出来ないように思えた。初音ミクのフィギュアを切り刻んでも、フィギュアは一滴も血を流さず、断面は滑らかなプラスチックで、顔には笑顔が張り付いているはずだ。そのあまりにも断絶した交流は初音ミク虐待よりも恐ろしく、ついぞ切りつけは実行されなかった。

 しかしそこへ、『フィギュアはんだごて』がまさしく福音のように届いたのだ。