巣/人生の意味/植毛

短歌について/その他サブカル色々/男、ほぼ学生、誕生年1994/うたのわで利己翔/ツイッター https://twitter.com/kakeruuriko?lang=ja

それでも小説を死ぬ前に書きたい

 小説を書こうとして、20行くらい書いて飽きてしまうことを4,5回繰り返した挙句、何としてでもブログをいったん更新しようと決めて、自己分析でも出して場を濁そうという思いたちでこの文章を書いている。どんなに面白みがなく、退屈の作文になったとしても、ともかくぶち込んで更新する。むしろ主要な目的は90日以上更新のないブログで表示される広告を消すことにあるといっても過言ではないので、諦めてこの記事の存在を認めなければならない。自虐はかなり抑えたやつなので安心してほしいし、自虐しまくるやつなら20行の冒頭の倍は書いてて、そういう気分ではない。

 後からの見直しに期待して、思いついたことから順にタイプし続けるのが性にあう。それをやると思い出すことは、人間と会話することへの憧れだ。何気ない発言の裏にある意図や文脈を推し量りながら会話をしてくれる、いまだ会うことのない理想の友人。おそらくどこにもいない。会話というのは現実にはそういうものではない。それでもそれと似たようなやり方をしたいと思う。多分、家族とするような、惰性と妥協と通じない皮肉を混ぜ込んだ言葉の応酬よりはずっと心安らぐものであるだろうという希望。夢とかそういうやつかもしれない。

 書き事というのは一方向の発信だが、書いていることに対して頭の中で突っ込みを入れるヤツがいて、それに対して答えるという形の書き方がある。そうやってものを書いているとできる考えの整理が結構面白いので、会話でこういうことができれば気持ちよさそうと思うんだろうが、それぞれの個人は自分自身のために存在しているのであって、どいつも添え物とか崇拝者であること自体が在り方の核ではない。

 ともかく疑問に応答し続ける形で書く文章は批評だの説明文だのには通用する書き方だけど、小説に関してはそういうわけにはいかず、用意した筋を読者へ伝達することが書き方の基本なのだろうか。微妙に疑問文なのはハウツー本とかで聞いただけの知識であって、実作はそんな感じでやらなかったからで、実作がどんな手順だったのかは、もはや覚えていることはない。

 短歌だとたまに褒められることも出てきた。うたの日もうたのわもいいものだ。そうだとしても創作することの喜びを最初に感じたのは小説だった。いまだに小説を書きたいという気持ちは10行の出だしでは収まる気配も見せない衝動なので、ニート暮らしのできる今年度中に進行したかったのだけれど難しい。修行してでも成長程度には何かしらやっていきたいものだ。