手紙魔まみ感想184・185
なんだよおぜんぜんなんも食えるとこねえじゃねえかと蟹を怒る
蟹へ話しかける(怒る)という実際には意味のないことを、『なんだよ「お」』『ね「え」か』と長音の強調を交えた真剣みの演出の中でやっていくということがこの歌の面白みなのだろう。『と蟹を怒る』の五句目で素に戻り、冷静になっているところがリアリティでもある。
「ムキになる」「客観視」
製氷皿に静かな水を運びつつ 天国なんか通過する汽車
始終あいまいで終わる。さらに水を運んでいるのが汽車、というワケでは別にないと思うが、汽車の中で乗組員がそういった作業をしているということなのだろうか。『天国』という実在しない場所に触れるし、しかも目的地ではなく『通過』地点に過ぎないし、移動手段は線路しか走れない『汽車』だし、意味ありげにスペースがあるけど明確な意味を言えるわけでもなし、とにかくすべてがあいまいというのが感想のような気がする。まじめそうな語を並べつつも『なんか』が異彩を放ち、無理やりにまとめきる無難さは無し。
さわやか風で意味ありげというのはこれまでにも何度か見られたものだが、ここではあまり「繰り返し」のイメージが取れず、ただ一点としか取れない『通過』というのは繰り返しと逆のイメージの気がする。
「あいまい」「通過」