手紙魔まみ感想117・118
午前四時半の私を抱きしめてくれるドーナツショップがないの
午前四時半という時間帯はなかなか厳しい時間帯的雰囲気を帯びている。この時間帯に起きているというのは、夜勤労働者、不眠症、早朝覚醒などで、何かしらの負担を抱えている。それは、本人の努力だけではどうにもならない、解消が不可能に見える虚無性のような性質を持つ。それ自体の苦痛の大きさ以上に、つかみどころのなさが重要ですらある。
個人的には新聞配達の印象もある。夜更かしでは二時から三時当たりで寝る印象があって、四時半となると特別に恐ろしい気配があった、白み始める空も絶望的であるよう。健康な早起きでは五時あたりから活動するような印象で、四時半は危険と絶望の雰囲気がある。勝手で個人的な印象ではあるが。
『ドーナツショップ』はカフェ的あれである。店ではあるが、ゆったりすることができる点でコンビニなどと違い、没個性をそれほど要求しない点でファーストフードなどとは違ったありがたみを感じさせる。その代償として、異常の早朝である四時半には開いていない。 『抱きしめてくれる』とは物理性よりも精神的安心を欲している。前歌で包丁を抱いていたことの対比でもある。不安定で依り何処がなく、具体的ではない焦燥感、喪失感などに襲われる。
『安心』『不安』
ひかひかの蜘蛛のめんめの表面が艶消(マット)になるよ、死んだ瞬間
めんめは目だが、幼児語というより北海道方言であるらしい。穂村弘、まみの両名は北海道出身。艶消し(マット)は車などのの塗装の仕上げの効果。
蜘蛛の目の色(光方)が死を境に変わる様子を描写しているが、『ひかひかのめんめ』という幼児的で親しみやすいというか、個人的な要素を含んでいるような言い方だったものが『艶消(マット)』という普通、大人の言い方に変化している。死のリアリティの効果として、主体の目線にも働き、揺れ動きながらやり過ごしているまみに衝撃を与えている。
『死』『目線、表現』