巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想107・108

溺れたひとという想定の人形のあたまを抱(いだ)く熱風のなか

 

 『想定の』で嘘が強調される。溺れたひとのあたまを抱きたい気分だったが、そういう人がいないので人形に想定をかぶせているのだろう。

 『想定』にとどめることで、『溺れたひと』『人形』への注目が下がり、主体や『熱風』に注目が向かう。なぜそういう気持ちになったのか、何処でそういうことをやっているのか。屋外ではありそうだが、水辺と『熱風』がそぐわないし、逆に砂漠の真ん中で『溺れたひと』のことを考えたくなったとか、そういう方向へ想像が向かう。

 人形はどこから持ってきたのか、どういう大きさなのか、何でできているのかという方向に気持ちが向かう。これが『溺れたひと』に留められているならば、何をしている時に溺れたのかを服から推測したり、主体の知人なのかどうかを考えていたり、性別が気になったりしたはずで、そういう推測が行われるはずだったかもしれない。

「動機」

 

 

 

手紙かいてすごくよかったね。ほむがいない世界でなくて。まみよかったですね。

 

 『よかった』という気持ちが言い聞かせるように繰り返される。「事実であること」「事実でないこと」を考える様子が前歌と似た性質と言えなくもない。

 句点、口語文体、名前などから、非常に私的な場面であるように捉えられる。主体には重大な事件としてだが、読み手には『よかったですね。』という気持ちが残るのみで、普遍性のない閉塞感が強く印象付けられる。通常の短歌はその逆を目指すものだという思い込みに飛び込んでいく。

「私的」