手紙魔まみ感想91・92
完璧な心の平和、ドライアイスに指をつけても平気だったよ
三句目が『ドライアイスに』が七音で異形と考えることが最もスムーズな解釈だろう。ドライアイス、固形二酸化炭素はアイスクリームを購入したときに、一時的な保存のために付属するなどで手に入る。通常、直接の接触は凍傷を引き起こし、危険である。しかし、『平気』であったことを口語で報告し、『完璧な心の平和』による物だということがほのめかされる。
前歌まででは、恐ろしげな内容だったがここでは、現実的に起こりうる軽度な事故からすら『完全な心の平和』という心の在り方という抽象的でどうにでも解釈できる内容によって守られるという、安心を感じさせる内容である。危険物になり得るものも『ドライアイス』というほどほどに身近で現実味のある物で、心の動きも『平気』という一般性のある言葉である。
「安全」「平気」
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち
『ハロー ○。』という定型を短歌の中に持ち込みつつ、五七五七七を大きく見出しはしていない。静かな繰り返しだが、やや気持ちが高揚しつつ、安定しているという感じの程度の様子であると感じさせる。すべて相手は人ではなく、時間、自然物、食べ物がそれぞれ相手である。『静かな』は何にでも『ハロー』と呼びかける自分との対比を思わせ、他のすべてのものに共 通している。『夜』も『霜柱』も『カップヌードルの海老たち』も『静か』だといえるだろう。
『カップヌードルの海老』は唯一生き物ではあったのだが、人間の保存食の内容物として、極度に生物的な要素を奪われて、『静か』にさせられてしまっている。何にでも『ハロー』と呼びかける、やや活発になった自分とはとりわけ対比的である。自分と『海老たち』をそのような状態に分かつものが何だったのかということを考えさせられるのは、『夜』『霜柱』といったものは、自然物として、自分を取り巻く環境であったからである。自分を活発にし、『海老たち』には残酷な運命をあたえた環境へ気持ちが行く。
「自然」