巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想75・76

ライヴっていうのは「ゆめじゃないよ」ってゆう夢を見る場所なんですね

 

 現代における、あらゆる創作活動やパフォーマンスは、その場しのぎの過剰快楽注入装置へと堕落していることを表現している。『ライヴ』の観客とパフォーマー、両者が『夢を見る』ための表現を行い、その後には前日と同じように日常に帰っていく。いくら楽しかったり、感動的であっても、それは『夢』を超えることはなく、『「ゆめじゃないよ」』という態度によって日常を送ることは許されない。あくまでもそれは夢であって、過ぎ去ったあとには忘れるべきものなのだ。

 ひらがな、「ゆう」などは、虚構であることの馬鹿馬鹿しさを皮肉ろうとする態度の表れ。

「夢」「現実」

 

 

 

八月二日(水)、熱帯夜。ごきぶりの中みは赤と黄いろと緑。

 

 (水)は読む必要のない文字だろう。実用上では「読まない」「すい」「すいようび」などいえるだろうが、ニュースやカレンダーといった、普段は発音のために使われない文字である。 ここでは日記だろうか。『熱帯夜。』の天気の表記にも小学校の夏休みの宿題の絵日記といった趣がある。

 漢字の使い方にも小学生の絵日記という設定を出しているのだろうか、『ごきぶりの中み』として色の描写。ゴキブリの内臓器官の名前を知らず、なんと表記すればいいのかわからない、地味な色のゴキブリが意外とカラフルであった驚き、虫を押しつぶすことに抵抗を持たない無邪気な残酷さといったものが感じられる。

 いくつか前の歌では『ごきぶり』を無関心に眺めていた。ここでは殺し、それを先入観なく観察しようという態度で、視点に変化がある。

「子供らしさ」