巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想69・70

眼ってのは外に出てきた脳なんですってね。感心しました、脳か。

 

 突飛な説を当然のことのように述べているというか、突飛であることに驚きつつも、素直に受け入れているところに違和感がある。口語調や句読点が当然に了解する心情をあらわし、内容とそれを受け入れる姿勢の違和感が対立して強調される。

 伝聞の形式は、他者の意見であるという説得性を持たせつつ、責任を回避できるという防御面にも優れた面がある。代わりに誰がいつ言ったのかといった事実や文脈の適切な提示が必要であったり、それらの点に嘘を指摘された場合には致命的であったりするが、ここでは連作の短歌であって、全てが最初から嘘であるといった点や、リズム感の都合から細部を無視できるといったことがある。珍説を唱える人間、珍説自体、それに納得する作中主体といったすべてが嘘であっても、作品自体の存在とそれの作者、読者は実在といえるだろう。

 人体の構造、それも通常の人間は確実に使っている目と脳への言及である。少なくとも、この作品に触れるものは全て目と脳を使っているし、特にそれを注意深く使用しているときに出会うだろう。この短歌が視覚媒体を使って共有される言葉遊びといった脳を使用するものだからである。無意識内で使用しているものを言及されること自体が違和感を生じさせるものである。口を閉じているときの舌の位置、呼吸などの例を挙げることができる。

 違和感の追求はきりがなく続けることができるが、適当なところで区切ることも必要とされる。その「適当」の具合が差異を生み出すのであるが、ここで作中主体は珍説を全く考察せずに受け入れ、それを第三者に伝えるほど熱心に見ているのである。その特異な位置が面白みになる。

 『脳か。』と一人で納得する姿勢を見せつけ、重複、口語といった点を徹底的に強調する。実感に基づいて、珍説を否定できずに受け入れることに、読者は違和感を受ける。

「違和感」

 

 

1や2や3になったが現在は162で落ち着きました

 

 身長のことだろうか。その辺で変動する数値というと、自分としてはその程度しか思い浮かばなかった。

 身長は他人からすると関心が低かったり、常に目視できたりといったものでこだわる物とはならないが、自分では身長計に乗っているときしか客観化できず、数値に強くこだわってしまうものとなる。その違和感、主観と客観に焦点を当てた歌といえる。

 『落ち着きました』ということが、身長を常に図るような性格の落ち着きのなさと矛盾した効果を醸し出している。『1や2や3』とその周辺で推移していたことを述べているので、高く見積もっているわけでもないのである。

「落ち着き」