巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想67・68

美容師の森ひまわりを花に譬えると、ひまわり(譬えてねーよ)

 

 『森ひまわり』氏が普通に実在の美容師だった。

 本当に何も内容がないといえる。に二重になっている部分がほとんどである。『森』と『ひまわり』の時点で自然が被っているのだが、『花』二度目の『ひまわり』、『(譬えてねーよ)』のセルフ突っ込みに至るまでが二重になっている。二重にならない部分は『美容師』くらいしかない。その分『美容師』が強力に意識される。繰り返しで弱まるという効果は前歌と同じパターンであり、その逆がこの強調である。また、そもそも短歌に「五七五七七」のリズムを繰り返すという構造上の都合があるため、「繰り返しによる弱体化」は短歌に常に付きまとっている問題でもある。連作や短歌集ともなると基本的には「五七五七七」を見続けることになるので、この問題はより深刻化していく。

 所詮はサブカル、紙に書いた文字という弱点をみつめることになるのである。それに対して『美容師』のなんと強力なことか。身だしなみという社会人にとって常に必要とされる文化の一角を占める存在である。言ってしまえばリア充である。『森ひまわり』の命名センスをいくらダサいと言ようが絶対に勝てない世界がそこにある。

「センス」

 

 

 

天上天下唯我独尊渦巻のスーパーボールを指環にします

 

 釈迦が誕生時に叫んだ言葉である。天の上にも天の下にも私より尊いものはいなかったということらしい。

 字に力がある決まり文句である。世界宗教開祖の決め台詞であり、漢字をばきっと並べていて、かっこよくないはずがない。定型から多少はみ出しているが、堂々とした字の並びはそれすら肯定しているように見える。

 しかし、三句目では突然『渦巻の』と当たり前のように前の八字を取り込んで、『スーパーボールの指輪』にまで詰め込んでしまう。子供だましのおもちゃのような、とてもダサい存在に一気に下降させられ、『します』という丁寧語は尊大な二句目までの宣言も引き下げて、卑屈で平凡な態度をとる様子を見せている。

「決まり文句」「ダサさ」