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手紙魔まみ感想65・66

ドアの前で眼が合ったときこの部屋に入りたそうにしてたゴキブリ

 

 『ゴキブリ』への心情移入が中心になっている。害虫として以上におそれられ、憎まれる対象だ。死や事故が遠くのものとなりつつ現代における、身近な恐怖の一つといえるだろう。

 それに対して、作中主体は強い拒否感は示さず、冷静に突き放している。ドアの前で目があい、意思をくみ取りはするが、それに付き合い、望みを叶えさせはしなかった(と予想される)。意向を全く聞こうとせず、いないかのように振る舞う、無視という態度を示した。それを思い出しているという体の短歌である。作中主体自体としては、それを特別な事件としては何かしらの感慨をさしはさむことなく、ただ思い出している。淡々と様子を表しすことが、読者にこの判断の是非を問いかける効果となっている。

「擬人化」

 

 

 

「あー、あー、マイク・テスッ、あいしてるあいしてるあいしてるあいしてる」

 

 音調確認では「本日は晴天なり」が一般的だが、ここでは『あいしてる』の繰り返しである。

 元々「本日は晴天なり」は英語圏で使われる音調確認である。英語では音域が広く、音調確認に適しているという理由があるのだが、日本語ではそのようなことはない。正しくマイクが接続されているか程度の確認にしかならないのだが、結局一般に広まっている。天気の様子は自然の営みで、第三者的に判断することができ、そうでしかない。自然でありながら現代人にも毎日影響を与えている。晴れがよい状態であるという感覚が共有されている、といった要素がよい意味でとられたのかもしれない。

 一方、『あいしてる』はプラスのことではあるが、個人的な関係の中のもの、連呼されることが適切ではないものである。そのような要素にマイクテストの場は全く相反する場所であり、誠意のこもらず、対象が不明確で信用に欠ける愛の表明のようになってしまう。

「表現媒体」