巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想61・62

まみの髪、金髪なのは、みとめます。ウサギ抱いてるのは、みとめます。

 

 服装をチェックしているような言い方。上の句と下の句に分かれているが、『のは、みとめます。』という定型に沿うようにも配慮されている。上の句では定型が完全にかみ合っているが、下の句にはずれができている。

 『金髪』は校則などによる禁止事項のわかりやすい例である。『ウサギ』は『まみ』が家庭内において愛しているペットだが、それについても『抱いてる』ことまでは『みとめ』られた、という。かれどこのことは、「ここまではみとめる」というまでであって、全てが認められたわけではないし、認めるからといって積極的に肯定されているわけでもない。また、誰がそのような規範の押し付けを行っているのか。自分の中にある「常識的であろうとする心」や「多数派」がそういった問いかけを絶えず行ってきていることを主張したかったのだと考える。

「規範の押し付け」

 

 

可能性。すべての恋は恋の死へ一直線に堕ちてゆくこと

 

 また『可能性』に関する歌である。しかし、ここでは『恋』という肯定的なものを『堕ちていく』と否定的に、しかも『すべて』『一直線』と例外なくまとめあげている。堕ち方自体にバラツキや広がりはあるものの、堕ちること自体は変わりがないのである。

 実際、最終的には恋は崩壊しなければならない。恋とは、強くあこがれる気持ちのことだが、持続しつづけることは不可能である。結婚等に軟着陸し、生活をともにやっていく愛に変化するのでも恋が終わっていることには違いがない。不幸な終わり方ならばバラエティが多く、別の相手がいて駄目だった、幻滅した、物理的に引き離されてどうにもならなくなったなど様々である。絶好調に燃え上がっている最中に死別などもあり得ない話ではなく、やはり恋は終わるために始まるに違いない。その幅のことを可能性と呼ぶことはできるが、恋が終わること自体を変えるような可能性は存在しない。

「幅=可能性」