巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想53・54

左から、宇宙スカート、プリンスカート、色盲検査スカート、まみ作

 

 スカートが並べられているという描写は、前回から続くデパートの風景を思わせる。宇宙は前回の最終的に『月』に向かったことと関連する。『プリン』は食という貨幣交換で満たしやすい欲望として、衣服への欲望と対比する。衣服は変身欲求や承認欲求に起因するが、それを貨幣との交換から手に入れること自体間違っているのではないか、なぜなら交換不可能である自分を欲求しているのだから、という考え。『色盲検査』は視覚異常がないかを検査するための図で、紛らわしい色の塊に数字を紛らわせたものなどがある。カラフルからアーティスティックという見方ができなくもないが、本来障害者を識別するための図であるから、それをスカートにはめ込むことは不謹慎でもある。

 最後に『まみ作』と自己を主張する。デザイナーとしての位置を文章中で手に入れることによって、承認という特別な自分を欲求することは、洋服を購入しようとする消費者たちと同じである。

「商品」「服」

 

 

源氏名と同じ「ヘレン」が飛び散ったホラー映画が巻き戻される

 

 前歌ではデザイナーとしての位置を表現していたが、ここでは『源氏名』で、キャバクラ系統に従事していることが暗示されている。それによってマイナスの自己承認が表現されている。

 『ホラー映画』は死の恐怖感をあおることがテーマの映像とした創作物で、死が非常に身近なものとして描かれる。軽々しく人が死ぬということをどのように刺激として受け取っていくかという刺激が重要で、『飛び散った』のように派手な絵を連続させることもある。過供給になると逆転して笑わせられるようなエンタメ化したりもするが、それだと「パニック映画」の方がふさわしいかもしれない。『ヘレン』は『まみ』にとっても役者にとっても偽名であり、ちょっとした共通点によってまみは感度を高めるが、結局いくら作り話に埋没しても、死が身近なものにはならないという問題はいつまでもついて回る。

 創作物は『巻き戻される』のような操作も簡単に行えるが、現実はもちろんそうはいかない。もちろん『手紙魔まみ』も創作物だが、創作物中に創作物を登場させることはいつでも現実との対比を目的としている。

「死」「同じ」