巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想23・24

ボーリングの最高点を云いあって驚きあってねむりにおちる

 

 ボウリングは玉投げ、ボーリングはドリルの穴掘りということを拘る向きもあるが、『最高点』からここでは玉投げを指していると考えられる。

 親密な仲でボウリングの点というたわいない話で盛り上がる、かつ今更それで盛り上がり驚きあう、一緒にボウリングをしたことはない。また即寝るという情報も重要。

 手紙ともだちと電話をして盛り上がった、くらいになるのだろうか。電話や文のやり取りで友達を作ることについて、SNSスマートフォンの普及でハードルも難易度も急速に変化し、意味合いが変わっているのではと思うと難しいところになる。

 前歌までのことを振り返ると、文章、声でしか存在を確認できない人間が、外国という遠い場所、ファンタジーやフィクションとどの程度違った存在なのか、ということがテーマになっていくと思う。

「ペンフレンド」「電話」

 

 

整形前夜ノーマ・ジーンが泣きながら兎の尻に挿すアスピリン

 

 ノーマ・ジーンはマリリン・モンローの本名。実際の彼女は整形をしていないはず。

 スターの「本名、実名」も「リアル、フィクション」のテーマの一種といえる。整形は手術で顔かたちを優れたものにしようとする試みであり、理想的な人間への変身、スターデビューを象徴する。しかし、過去まで、この時点では現在の自分の否定でもあり、悲しみが伴うための『泣きながら』。

 『兎の尻に挿すアスピリン』も医療行為、施術であり『整形』との類似点がある。こちらの場合、生きていくために必要な医療であることが明らかである。『ウサギ』はこの連作では「愛の対象」という役割が一貫しているが、ここでもやはりペットであり、所有物として持ち主の判断で投薬されている。『尻に挿す』という直接的な言い方が『兎』の苦しみを想像させ、「苦しむ生物」として「整形前夜のスター候補生」が重なる。スターもまた「愛の対象」といえるだろう。「愛の対象」という生き方を前にして戸惑い、苦しんでいることも『泣きながら』の理由である。ウサギに感情移入していると同時に、自分も「ウサギのように」なろうという一歩手前にいるのである。

 ウサギに関して医療を放棄して新しい愛玩動物と取り換えるという選択肢があることと同様に、スター候補生にも整形を行わないままのスター化を目指す、またはスター以外の生き方を探す、という選択肢がある。ウサギとスター候補生の違いは最終判断を下す責任者は誰かということがあやふやであることだろう。