巣/人生の意味/植毛

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手紙魔まみ感想15・16

出来立てのニンニク餃子にポラロイドカメラを向けている熱帯夜

 

 『ポラロイドカメラ』はいつかの短歌にも登場したインスタントカメラである。デジカメによって時代遅れとなって衰退した。やや昔の人間には懐古感のようなものを湧き立たせる作用を持つのかもしれず、時代観を共有しない私でも、語感や長ったらしい語であることがなにか特別なものではあるのかもしれない、程度のことは把握される。

 『ニンニク餃子』は前回にも出ていた料理であり、『攻める』が調理であったことが判明している。『夏の夜』『熱帯夜』も似たニュアンスで、時間の経過はしていないとみてよいだろう。料理を写真にとる、という行為を引っ越し日に行うことがどのような人間性につながるか、というところがメインのように思われるが、現代はスマホカメラで外食を写真にとることが一般化していて、この部分を考える際には時代性を意識せざるを得ない。そういった意味でも『ポラロイドカメラ』は大きく存在感を放っている。

 

「時代」「記念」

 

 

硝子粒(がらすつぶ)ひかる路面にふたり立つ苺畑の見張りのように

 

 時間の描写はないが『硝子粒ひかる路面』からは日中であることが予想される。『ふたり』は「まみ」と「ゆゆ」だろうか。『ひかる』『ふたり』の平仮名に対して『苺』が漢字であり固い印象。『苺畑の見張り』という全体でファンシーさよりも固さ、真面目さを優先しようとしたのだろう。「ユーモアのようで真面目」がメインであり、具体性や現実味の薄いものに『ように』と直喩を使っている部分がユーモア、全体の平仮名と漢字のバランス(カタカナを避けている)が真面目さを表現。前回まではカタカナ語が割とあったが(ニンニク、ポラロイドカメラ)ここでは徹底的に(硝子、苺)避けられている。

 

「真面目」「ユーモア」