巣/人生の意味/植毛

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ランマーカーズ19・20

ラムネ工場で子猫を見失ったとき入道雲の拍手を浴びる

 

 初句が八音で、とても長い。あとは自然な音数である。「工場で」とすれば定型であるのに、あえてラムネをくわえることで、虚構感を強調する。『ラムネ工場』という物自体、何処か怪しい存在だ。そんな限定的なものがあるか、とかそういう。

 入道雲の拍手は雨のことだろうか、雨音のぱちぱちという音を拍手音に見立てたという。『受ける』という形から作中主体がこの拍手を受けているのである。よく頑張ったということではあるが、負けは負けであるということを思い知らせようという意図の拍手。

 

 

 

 

あ かぶと虫まっぷたつ と思ったら飛びたっただけ 夏の真ん中

 

 空白が多い。『と思ったら』を三句目にすれば、割と定型に近く見ることができる。

 内容はほぼないが、言葉遣いや空白の多さから、子供らしさが感じられる。いきなりの『カブトムシまっぷたつ』からただの思い込みの間違いでしかないのに、『あ』という客観的には全く情報のないつぶやきまではめ込んでいるのは、子供らしい自意識の高さである。しかし、ここから作中主体の主観についてはいろいろと読み取ることで切る。『あ』では驚きと言っても大きく感情を揺さぶられたわけではなく、少し奇妙なものを見てびっくりした、という程度である。子供の頃を思い出して作ったのかもしれない。

 『夏の真ん中』もまた、世界の中心が自分であるということに疑いを持たない、コドンの純粋な万能感の表れなのだろう。