巣/人生の意味/植毛

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ラインマーカーズ9・10

水銀灯ひとつひとつに一羽づつ鳥が眠っている夜明け前

 

 一句目、二句目の後はほぼ予定通りというか、予想される続きがそのままに表れるような感じ。『ひとつひとつ』に『一羽づつ』の後、羽でカウントする『鳥』『眠っている』→『夜明け前』の流れ。『水銀灯』は高さから鳥を予期させ、灯りを持ち出すのは『夜』の前置きとしての役割であり、輪のように一巡するような構造ともいえる。

 心情などが全くないただの風景であるなど、現代短歌っぽくない気がしなくもない。

 

 

眼をとじて耳をふさいで金星がどれだかわかったら舌で指せ

 

 視覚、聴覚を使わないで『金星』探させ、見つけたら『舌で指せ』という指示をしている。

視覚聴覚は人の五感の中でも生活に頻繁に用いるし、特に遠くのものについて情報を得る場合は最重要と言えるだろう。耳は自然状態では開きっぱなしなので、わざわざ自分でふさぐというのは、指示にきっちり従っているというポーズにもなり、手、指という触角の機能停止でもある。

 金星は目を凝らしても見つけることが難しいだろうに、それを閉じろ、耳も塞げと言うのである。第六感に頼れ、というようにも見えるが、作中主体が期待しているのはそのような未知の力を突然発揮することではなく、やけくそに見当違いの方向を指すようなことだろう。

 『舌で指せ』というのが最もこの短歌で目立っているところに思えた。手は耳をふさぐことに使っているので、当然使えず、これはある意味必然的な帰結ではある。しかし通常ものを刺すような役割に使うべきではなく、口の中に隠されていなければならない舌を突き出す、しかも眼をとじ、耳をふさいだ格好はとてもみっともないものとなる。無防備そのもので、全く周りのことがわからない状態となるのだ。舌は味覚のための機関であることも気になる。この姿勢で、最も通常と異なる状態、危険にさらされているのが舌だ。五感中三つが禁じられ、最後に自分の意思で四つ目を以上の状態に置く。命令者である作中主体のこの語の行動が不気味に思わされる。

 

 

こういう滅茶苦茶なのを見ると現代短歌っぽいなーとか思うが、区別があるのか自体特に知らず、何となく感じただけのことではある。

 

久々にまともな長さ書いたが九百字もない……