シンジケート感想124・125
海にゆく約束ついに破られてミルクで廊下を磨く修道女(シスター)
夏らしい語として『海』がある。そこに行くという約束が果たされなかったことから、自棄になって廊下掃除をミルクでしている。
『ついに』によって、最初は延期などだったのに、延び延びになるうちに結局行かなかった、という時間の経過、希望がかなわなかった悲しみが表現されている。その絶望が普段の仕事を効果のないように行うという陰湿な報復で形になっていて、面倒そうな性格であることが想起される。
『ミルク』『磨く』が『MI』で韻を踏んでいる。
積乱と呼ばれし雲よ 錆色のくさり離してブランコに立つ
ブランコには座ってこぐ方法と立ってこぐ方法があるが、立ちこぎではブランコのくさりを持って体を支え、ブランコで立つ。その立った後にこぐのではなく、鎖を離したのが三、四、五句目。『積乱と呼ばれし雲よ』は立ちながら空の雲を見ているという描写。
初見では全体的に伝わりにくく、状況がつかめなかった。原因に一、二句目が後半に全く関係がないこと、自分がブランコを身近に使用していないため『ブランコに立つ』がどのような動作を指すのかわからなかったことの二つがあると思う。いきなりの『くさり』が何のくさりなのか不明であり、後に『ブランコ』と出た後からも、ブランコにくさりが付いていることに思い当たるまでに時間が懸かった。
読み取れた後の感想としては、爽やかだしかっこいいという感じか。『雲』と『錆色の(くさり)』に対比がある。