シンジケート感想62・63
雄の光・雌の光がやりまくる赤道直下鮫抱きしめろ
セックスすることを「やる」などと表現することも多いが、代動詞としての働きらしい。
『雄』『雌』といういい方は動物らしさがある。性交について、本能や動物性を強調する場合も多く、ここでもそういった効果をもたらしている。・(中点)によって『雄の光』『雌の光』の対比は際立たされている。とはいっても、『光』が何を表すかについてはよく考える必要はある。
四句、急激な転換。『赤道直下』は一気にカメラがズームアウトする。地図上の言葉で場所を表記すると、頭の中では地図が浮かぶし、そういった場所の地理的性質などに思いが向う。ここでも「暑い」「海」といったイメージになり、光に対しても「太陽」やそれが反射した「海」という感覚がでてくる。
五句、『鮫』が現れるため、海ではっきりとイメージが固定される。それを『抱きしめろ』。誰が誰に言っているのか?命令文のために勢いが生まれているが、それに飲まれずに状況を考える。
三句目までは四句目の『赤道直下』を修飾するための語。それ自体には意味のない語でもある。さんさんと照る太陽の『光』だけでなく、南国リゾートにやってきてセックスをする観光客などのことも言っているよう。
そのような『赤道直下』で『鮫抱きしめろ』。「抱く」もセックスを意味する語ではある。カップルの男が女へ命令している気がする。『鮫』は比喩ではなく本当の鮫の形をしたもの。死んでいるか、作り物か、写真撮影のために抱きしめろと言っている、表面的には。
けれど抱きしめているのを見ると『雄の光・雌の光がやりまくる赤道直下』にいることもあり、どうも落ち着かない気持ちになるといった感情ができたという風な状況。
シュマイザー吼えよその身をばら色に輝く地平線とするまで
シュマイザーは銃技師の名と、それにちなんだ銃の名。ナチス・ドイツ政権下で開発され、第二次世界大戦にて大量に使用された短機関銃。
銃に『吼えよ』というのは銃声についての言及で、使用者が昂ぶって叫んでいるような感じがある。
『ばら色』は少し前の歌にもあったが、それと同じように軍事的な意味合いがある。
『ばら色に輝く』ということで、軍事行動の成功を願っているようだ。シュマイザーの『その身』をばら色にするということは、シュマイザーとその使用者の犠牲の結果としてばら色、ということを言っているようだ。しかしその姿は『地平線』として遠くから見るものとしてである。近くで見るためではなく、遠いどこかを平和にしろ、と言っている。ここではない戦場のために犠牲になれと言っているようだ。
『ばら色』にも非現実性があり、叶うことのないユートピア願望のために闘わされる残酷さというものが浮かぶ。勇ましすぎて、かえって現実性を失った徴兵スローガンという感じ。