巣/人生の意味/植毛

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シンジケート感想54・55

考察というほどでもなくただの感想の書留だな、と思い直しました。別に今までと同じ風に書きますし、わざわざ前までのものを書き換えもしませんが、急に言い回しが気になったので変更します。

 

 

血まみれのチューインガムよアスファルトに凍れ神父も叫ぶこの夜

 

 チューインガムが血まみれ、噛んでいる途中で口からの出血があったのだろうか。そうして吐かれ、アスファルトへと着地、時間は夜で、寒いらしく、『凍れ』という気持ち、作中主体の明確な動きはこれのみと言える。ガム、血がだれのものはわからず、神父が作中主体かといえば『神父』をことさらに自分で強調するという事態は教会の外ではそれほどではないはず、『アスファルト』のある屋外、つまり神父は他者であると補完。ひたすらにつらいため『神父も叫ぶ』ほどの『夜』であることを言いたいだけで、五句は全くに空想上の実であるという可能性もある。

 『血まみれ』、物(ゴミ)に対して『よ』という呼びかけ、命令形の『凍れ』、『叫ぶ』などとおどろおどろしいさ、『チューインガム』『アスファルト』は若者らしいスタイリッシュさ、とでも言えばいいのか、具体例でいえば路地裏の不良が浮かぶ、そんな感じがあり、格好いい。

 

A・Sは誰のイニシャルAsは砒素A・Sは誰のイニシャル

 砒素は物質名、Asは元素記号での表し方。人体に有害、その他もろもろに性質を持つ。

 『A・S』、『As』、どちらも発音はエーエスとなるだろう。完全に同じ言い回しが挟み込んであり、しつこいがそれによってきっと思い入れ深い人物であることについて、しっかりと伝える効果となっている。しかし『砒素』の細かい性質が気に入らないことと同じように、『A・S』がどのような人物であるかについて、読み手、受け手に気にさせるほどの効果はないという現実がある、人間はたくさんいるし、A・Sも詠み手、作者にとっては一人の固有の人を指すが、受け手では視点が異なってしまう、そこに同一化することは決してできない壁。

 悪く言えば一発ネタだが、やはりそれだけのパワーはある。