巣/人生の意味/植毛

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シンジケート考察50・51

ブランコもジャングルジムもシーソーもペンキ塗りたて砂場にお城

 

 遊具名を並べた後に『ペンキ塗りたて』と使えない理由を述べ、使用可能だった『砂場』で遊び、『お城』を作ったとしている。本当は先に述べたような遊具を使いたかったのだが、使えないから仕方なく砂場で、という心情が推測される。それでもお城を作るというように、手を抜くわけでもなく真剣に作業を行ったというわけだ。

 遊んだのはだれかという問題もある。遊んでいるのは全く知りもしない子供で、その本心は実際には分からないという可能性もある。その場合には、『ペンキ塗りたて』という理由から砂場遊びが選択されたわけではなく、本心から砂場遊びをしたかったということになる。実際には分からないが。

 遊具の選択に見立てて、交際相手の選択について述べているのではという邪推も可能だ。

 

雲のかたちをいえないままにきいている球場整備員の口笛

 

 『雲のかたちを』は初句のはずなのに七音もある。雲の名を、などにすれば簡単に五音にできるのだから、選択的に音数を長くしたことが推測される。四句、五句は『球場整備/員の』と切れる場所が語の途中であり、ここも違和感を感じさせる点となっている。そのような不意打ちをしつつも『口笛』という恐ろしさの全くないもので締めを行っている。

 『かたち』がなぜ選択されたか。かたち、と名で入れ替え可能ではと書いたが、短歌の情景を思い浮かべるうえでは交換可能と言えなくもないが、もちろんまったく意味としては異なっている。『かたち』を言葉にしようがない雲が現れたのだ。名前などついているような雲ではなく、名状しがたい形の。『雲』は気持ちの比喩?『いえないままにきいている』のもの悲しさ。身近で実際的であるという感じがある。

 『球場整備/員』はこの短歌の場所を示す効果もある。微妙で非日常的なものをにおわせつつも『口笛』とありきたりなもので示した。恐ろしいものを感じさせつつも、結局何事もなく終わり、それが印象的な効果をもたらしている。