巣/人生の意味/植毛

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シンジケート考察48・49

ワイパーをグニュグニュに折り曲げたればグニュグニュのまま動くワイパー

 

 ワイパーは自動車の雨などを振り払うゴム製の棒。

 一句と五句、二句と四句で『ワイパー』、『グニュグニュ』が繰り返さている。反復というより折り返し、回文などの言い方が適切なのではないかというほどに特徴的。

 『グニュグニュ』などといういい加減なオノマトペも繰り返すことでより強烈な違和感を放ち、具体性を醸し出すような気がする。

 情景は完全に描かれるままであるが、心情描写は全くない。そこに解釈の余地がある。

 なぜ『ワイパー』を折り曲げるのか。折り曲げる、はある意味暴力的な行為である。動かしたのだから自分の車。自分のものにあたる、ということをしている。けれどグニュグニュ、は暴力が思った通りの効果を発揮しきれなかったような感がある。そしてその違和感を残したままのワイパーが『動く』、つまり機能する。自分の思いと外部世界のすれ違いの心情がみられる。そして、短歌は視覚的にも音的にも意味的にも環のようになっている。

ウーン

 

ぶら下がる受話器に向けてぶちまけたげろの内容叫び続ける

 

 この短歌にも心情的なものはないが、『叫び』はかなり暴力的な行為で、怒りの感情が簡単に推測される。一句目と三句目の『ぶ』の統一。二句切れは珍しいような。

 受話器を手に持っていないので、相手と対話する気はなく、もし切られていたとしても気にしないという意思が示されている。むしろ最初から誰にもかけたわけではないのかもしれない。げろは先程まで自分であったが自分の中で消化しきることができず、違和感の結果として吐き出されてしまったのだが、それでもまだげろへの執着を捨てきれていないため、観察し、内容を叫ぶことになっているのである。

 げろ、がある意味唐突に過ぎるのではという感じもある。カタカナにすればもう少しわかりやすいのに、それもせず溶かし込んでいるような感じもする。強烈な語なのだからもっと存在感を出せばいいと思うのだが、穂村さんはうんこなども平仮名で溶かし込んでいる。何か意図があるような気はする。特別視しすぎたくないとかだろうかー?