巣/人生の意味/植毛

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シンジケート9・10・11

プードルの首根っ子押さえてトリミング種痘の痕なき肩よ八月

 

 トリミングは動物の毛を刈って整えること。プードルは特に毛が多くトリミングの腕が試されるようで、うまいと宣伝になるのかトリミングの参考例に出ていた。種痘は天然痘の予防接種。天然痘は高い感染力と致死性のある感染症で、現在は撲滅されている。WHOによる根絶計画開始が1958年、根絶宣言が1980年になされた。種痘は肩にすることが多く、年の判定にしたりもする。昔の流行ネタのノリ的な風物詩的な。昔は春の季語だったが、1980年に廃止された。日本で種痘が実施されていたのは1976年までで、生後すぐと小学校入学6か月前。『シンジケート』の初刊は1990年だから、種痘をしない子は最高で14歳くらい。

 トリミングをしている子供の肩に種痘がないなーという短歌なのだろうか。『首根っ子』を抑える動作は穏やかではないが、目的は『トリミング』。『プードル』が冒頭にあることからそれを予想することは難しくはない。いきなり『種痘の痕なき肩』に飛ぶが、種痘が行われるのは人であり、トリミングをする者を観察しているのが詠み手らしい。

 子供が夏休みで家事の手伝いを肩が見えるノースリーブでしていることが八月らしさなのだろうか。

 

置き去りにされた眼鏡が砂浜で光の束を見ている九月

 

 七月、八月は語が難しかったがこれは小学校低学年でも語彙は問題なく伝わる。

 夏が終わり、秋に変わっていく九月の『砂浜』に置き去りにされた『眼鏡』。静かに寂しい情景が浮かぶが、『光の束』がつまり何なのかということがポイントでありそうだ。一つにまとめられた光?雲の隙間から差し込む光か、海面に反射する光か。なんとなくしっくりこない。この歌に明るさをもたらしている唯一の語。

 『眼鏡』と詠み手とに関連はあるのだろうか。たまたま見つけた知らない人の眼鏡、という感じを受けるが。

 

錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月

 暗→明。『錆びてゆく廃車の山』をその後で一気にユーモラスにしているが、『ミラー』と英語を使い、『たち』生物であるように呼びかけ、『いっせい』で連帯感をだし『映せ』と命令形での呼びかけ。『十月』の『空』は気持ちの良い秋晴れなのだろう。しかし、ミラーには映せと言わずとも勝手に映る。詠み手が一つ一つ、手でミラーの向きを変えていたのだろうか。その作業はとても地味だが、あまり悲壮感はない。『空映せ』にはそれを打ち消して余りある力があるように思える。