巣/人生の意味/植毛

note  https://note.com/rikokakeru/ツイッター @kakeruuriko

シンジケート 5・6

郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月

 

 「郵便配達夫(メイルマン)」がまず特徴的で、目に引っかかる。身近な存在なのだが、普段はそう呼ばずに「運送会社」などと会社や業種名でその個人も刺すことが多い気がする。郵便配達夫、メイルマンの両方が一目で何を指すかわかるほど簡単な語でありながらそれを使うことがなかったというような言葉であり、身近でありながらも不気味という気持ちを抱かせる。その人が、櫛で髪をといているのをドアのレンズ越しに見ているものが詠み手

である。そして、四月という新しい生活の始まることの多い季節。詠み手もまだ部屋に慣れておらず、人の気配をドア越しに感じ、レンズをのぞく。メイルマンもまた新人であり、櫛で髪をといているように思える。外で櫛を使ってまで髪を整えることはあまり通常ではなく、新人ゆえの気合を表している感じがするのだ。

 四月の新人らしさから明るさ、郵便配達夫(メイルマン)という語の選択から不気味さがある。また、レンズ越しにこちらは相手を見ているが、相手はこちらに全く気が付かず、髪をとくというプライベートな行為を行っている風景も、盗み見のような不気味さがある。見ている方である詠み手自身は、意図的な行為ではなく、全くの他人に対してそれを行うことへの罪悪感がありそうだ。メイルマンはこれからの会話に向けて気合を奮い立たせていそうで、さわやかさがある。この二人もまた対比関係。

 

「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月

 

 牧師とはキリスト教プロテスタントにおいて、聖職者の役割を行う。説教、聖餐式など。カトリックなど他宗派では神父。これはプロテスタントの万人祭司主義の影響が大きく、牧師と神父の最も大きな違いは一般信徒との身分的な差。牧師は神学、聖書といった知識に深いが特別な地位ではなく、あくまで一人の信者である。カトリックは教会、教皇といった機関の重要性が高く、神父も神とのとりなしを行う重要で神聖な職務とされる。

 詠み手の主体は牧師の説教を聞いているというようなところ。

 五月にそれほど大きなキリスト教の行事もないようで、普通の礼拝の説教の様子であると考えられる。

 一句目、三句目、四句目が助詞で字余りとなっている。これは強引に省こうとすれば不可能ではないはずでありつつあえて残してあるところから意図的であることがうかがえる。字余りが多めであることで、全体としてゆったりとしたリズムを感じる。五月も春、初夏といったさわやかさを感じさせる月であり、和やかな雰囲気。

 これらに加えて『あなたがた』『です』といった丁寧な言い回しが『邪悪』という言葉の威力を高める。これを『素敵な瞳』で語る『牧師』。『瞳』まで丁寧に観察している主体は、割と集中して聴いているはずだ。全体の和やかさから、肯定的に聞いていると判断する。

 また、牧師の選択している『あなたがた』という語は注目すべきである。上記で牧師の解説の通り、牧師は神父より信者の一人としての意識が高いのだ。『あなたがた』にはまた、自分も含まれていると考えているのだ。すべての人間が『邪悪』であることをハキハキと語りつつ、その目が輝いていることに詠み手は感動を得ている、という風に読める。

 ここで牧師ではなく神父であったならば、『あなたがた』にその話者自体は含まれないと考えられる。自分は『邪悪』ではないが他はすべて『邪悪』と宣告するかのような不気味な情景が思い浮かぶようになるのだ。『牧師』『神父』は共に三語で短歌の形式を乱すものではないのだから、ここはかなり意図的な選択が働いているはずだとすべきなのでは。

 

 勝手に他人を邪悪だのなんだのという決めつけを行っている自分が最も愚かなのではという気分となれる。