巣/人生の意味/植毛

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シンジケート 考察2・3・4

停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う1月

 

停止中のエスカレーターに乗ったり降りたりして遊んでいる子供を見ている風景のようだ。「声を立てて笑う」から子供であるような気がした。正月に久しぶりに出会った親戚の年の近い子供が二人でデパートではしゃいでいるかのような景色が浮かぶ。会っているだけで嬉しくて同じことを何度繰り返してもおかしい、というような状態か。明るい歌だが、「停止中のエスカレーター」は立ち入り禁止のはずで、そこで遊んでいることに対して危なっかしい気分もあり、暗い部分はそこにある。冒頭で一瞬暗くした後に明るく。詠み手はそれを眺めている。特に注意しないところから、笑うふたりとは特に知り合いでもなく、たまたま居合わせただけ?

 

九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月

 

 九官鳥はペットとして人気がある。東南アジア地域の森林に生息、繁殖技術は確立しておらずペットもすべて野生産。人の言葉などを覚えて真似できるが、神経質で懐かず、手間もかかる。ダイレクトメールは企業の出す商品案内やカタログの郵便物

 朝の郵便受けを確認するような風景。詠み手の自宅であり、九官鳥も自分のペット、ダイレクトメールも自分宛、という風に見える。九官鳥は簡単に飼えるペットではなく、人間の言葉をまねて繰り返すことから、孤独な人間向けに見える。その九官鳥がしゃべらず、深まる孤独、ダイレクトメールは自分あてのものではあるが、あくまでお客さん、消費者としての関係を求めており、孤独は深まる。凍って、は二月の寒さとの関連を浮かばせる。冷たさだ。

 12月はクリスマス、1月は元旦、3月はひな祭り、卒業式。これらに挟まれる二月はせいぜい節分程度で、地味に思える。暦上季節が変わるといってもまだまだ寒く、冬本番といった感じすらある。孤独が身に染みる、冷たくて静かな季節。

 九官鳥が明るく、その後の内容が暗い、前句と逆のパターンになっている。明暗が一句のうちに同居している感じがよさになる、といった内容を解説本に書いてあった。

 

フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月

 

 フーガは音楽形式。主題になる音楽メロディーを後から追いかける形で演奏していく。厳密な模倣ではないため、自由度がある。黒鍵(こっけん)はピアノの黒い鍵盤。

 1,2,3句目までの音、切り方が格好いい。

 ピアノの演奏をしている人に対して抱き付き、演奏をやめさせ、黒鍵の上には弾いていた人の指紋が光っている、という様子。後ろから抱き付いたが、視線をその相手に向けることができず、鍵盤を見ていたら指紋が光っている、という風で、詠み手は抱き付いた人間のようだ。

 三月にピアノを弾くというと卒業式のような行事が思い浮かぶ。演奏者との別れを惜しみ、突発的に読み手が抱き着いたが、恥ずかしくなった、ということか?演奏を止めることで別れを防げるような気がしたとかそういった葛藤があったりするのかもしれない。こう解釈していくと、現在見つめているピアノは公共物なのだが、そこの『指紋』はおそらく演奏者のもので、そこに愛おしさを感じていたりするのかもしれない。1,2,3句の特徴的な区切りも遮るという行為や、その行動の衝動性を象徴しているようにも思える。

 

最初目を通した時には「フーガって車?黒い鍵?」というように考えて意味不明に飛ばしながら読んでいたので、ちゃんと言葉の意味を調べながら読むべきである。