巣/人生の意味/植毛

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小さな夢(即興小説)

 俺んちの朝の食卓にはいつも林檎があった。母さんが切った林檎が食卓の真ん中の皿に乗せられて、それをみんなで二切れずつ食うのだ。フォークも一緒に乗っていたが、俺はいつも手づかみで食っていた。父さん母さんはそれを咎めたが、何度言っても聞かないので、そのうち気にされなくなった。家では林檎は特別なフルーツで、決して夜には出なかった。他のフルーツはいつも晩飯の後だったのに、林檎だけは毎日、毎朝食べるもの。誰もそれを気にしていなかった。

 俺は林檎が割と好きだった。皮の植物らしさと実のみずみずしさの相性はなかなかのもんだ。冷蔵庫から出した直後はいい味がする。けれど、好きなフルーツと言えばブドウ、モモ、カキなんかが先に思いつく。どうも、林檎のことをフルーツと呼ぶ気はしなかった。給食に出てくる、乾いて皮がむいてある林檎のことは最悪だと思った。アイスみたいにきちんと冷凍管理しろよと、しなびた林檎を見るたびにひとりごちた。

 いつからか俺はひそかな野望として林檎をまるごと一人で食いたいと思うようになった。林檎は朝以外には食えないと思ったし、朝は親の用意した飯で腹がいっぱいになるのだから。一人暮らしをするようになってからだ、と決めつけた。

 けれど、実際に大学に行くのに、一人暮らしをするようになると、ぎりぎりまで寝て朝はほとんど食わない、という生活スタイルをとるようになった。たまたま早く起きても、せいぜい菓子パンをつまむくらいだ。夜にフルーツを食うこともなく、林檎のことはさっぱり忘れてしまった。ようやく思い出したのは、一人暮らし最後の夜だ。就職は地元に決めたので、社会人としては実家暮らしになる。それで、最後だなと思いながらぶらぶらしていたスーパーでたまたま林檎を見つけたのだ。俺は慌てて林檎をカートへ入れた。遅すぎたな、という思いと、ぎりぎりでも思い出せてよかった、という思いがあった。

 翌日目覚めたのは11時過ぎだ。帰りの手段は夜のバス、別に遅刻するわけではないのだけれど、林檎を食うには朝がよかったのに、と悔しくなった。それでも今から食うしかない。冷蔵庫から出したて以外は食う気がしないし、実家でもやっぱり食えない。買っておいたパンを食べてから冷蔵庫から林檎を取り出し、ベランダへ出た。ベランダで食う、というのは汁が垂れるということもあったが、これも彼の夢のうちの一つだったのだ。なぜ今まで忘れていたのだろう、と思いながら、林檎をかじった。やはり、なかなかうまい。けれど、6口目辺りでなんだか飽きてきた。やっぱり、林檎はそんなに量を食いたいものではないな。それに、芯の方へ行くとぐじゅぐじゅと汁っぽくて気持ち悪いし、皮はそのころには食いきっちまっている。やっぱり林檎はそこそこどまりだな、と思いつつ食える分だけは隅まで食い尽くした。芯はアパートの庭へ放り込んだ。思ったより遠くに飛ばしすぎたが、もう引っ越すんだし、細かいことはいいや。

 それで現在。帰りのバスで、眠る寸前。林檎のことを考えてたんだ。一か月に一回ぐらいは食ってやってもよかったか、いや、三か月に一回か? ま、もう気にすることじゃない。どうせあさってからは、毎朝二切れ分は食える。考えがまとまったことに満足して、俺は眼を閉じた。