巣/人生の意味/植毛

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短歌 けものフレンズ

締め切りになったのでどうにか完成させました。難しかった。

二次創作って難しいですね。うまい人すごい。

 

  • その者は何も知らずに現れて己を探す旅を始めた
  • 渡す者バス担ぐ者それぞれが合わさり二人で最強になる
  • 愛さえも捧げた歌を聞かれては伝わることを喜んだ時
  • 絶滅のすき間で出会うけものたち昨日わたしはツチノコをみた
  • 別れない出会いもあってぴったりの新居の中で二人で眠る
  • 決まり事青空の下戦おう楽しくやろうフレンズだもの
  • 美味しいものたくさん食べてどこまでも自分を探しに出かけていこう
  • アイドルもいろいろあっても最後にはいっせーのっでっペ・パ・プ
  • 温泉は全裸で入れ生きるのは全力でどんなことでも
  • 幽霊の正体見たりテクノロジー話はどんどん大きく育つ
  • すごくでかいなんだかこわいいつものことたべないでくださいありがとう
  • かつて見た地方の小さい遊園地けれど確かに光があった

ありがとうございました。けものフレンズはまだもうちょっとだけ続くらしいですね。どういう形になるのかわかりませんが、楽しみにしています。

手紙魔まみ239・240・241

これで手紙魔まみのすべての歌をやったことになりますね。

 

 

じつは、このあいだ、朝              なんでもありません

 

 空白が目を引く歌であり、それ以外の部分を読んでも定型になっていない。しかし、この歌はかなり「わかる」という気持ちを抱かせる歌である。共感を感じさせ、日常にこういうことがよくあることを思い起こさせる。非定型である理由もここにあり、現実の日常は定型短歌ではないからである。言いかけたことをやめるというそれだけのことが、短歌を作るという作業とは真逆のことなのだ。短歌の中では言いたいことが言いたい放題で、むしろ埋まりきらず、思いつきで空白に言葉をねじ込んだりする。しかし現実では言いたいことは言えないことの方が多く、空白には何も入ってこない。

 

「現実」「空白」

 

 

これと同じ手紙を前にもかいたことある気がしつつ、フタタビオクル

 

 「繰り返し」がテーマの歌である。繰り返しているような気もしつつ、やっていく。カタカナは繰り返しからの逸脱の試みであり、繰り返しはいけないという気持ちの表れ。

 音は68577になっていて、逸脱から自然に定型へと戻っていく。内容と音が逆の意味を持たされている。

 

「繰り返し」「逸脱」

 

 

夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう

 

 最後の歌。

 『手紙』を終えて実際に会うかーってなっていそうな歌。現実の反映としての定型からの逸脱がここでも表れている。『夢』も現実との対比であり、現実にあったら光っているだけではだめでしょうねっていうことだろう。手紙を終え、人はやっていく・・・

 

「現実」

手紙魔まみ感想237・238

札幌局ラジオバイトの辻くんを映し続ける銀盆を抱く

 

 結びの『抱く』が印象的で、全体をやさしみで纏めている。『辻くん』という人物に触れつつも深入りすることはない感があり、『映し続ける銀盆』を媒介としていること、人物説明が淡々とした役柄であることなどが印象づける。

 

「やさしみ」「あっさり」

 

 

くぐり抜ける速さでのびるジャングルジム、白、青、白、青、ごくまれに赤

 

 永遠に抜けられない『ジャングルジム』。『白、青』より『赤』の法がジャングルジムの色としては確かに珍しいかもしれない。赤は血の色など、2つよりも刺激的な色である。白青はジャングルジムの色として一般的な気がするし、空の色などさわやかみがある。

 永遠に抜けられない、は「繰り返し」であり、『白、青』といった「さわやか」学理返される。そう見ればどちらかというと不気味方面の短歌であるといえる。『赤』という反射的にはグロテスクに見えるものが「さわやかの繰り返し」からの脱却点になっている。

 

「繰り返し」「不気味」

手紙魔まみ感想235・236

いくたびか生まれ変わってあの夏のウエイトレスとして巡り遭う 

 

 『生まれ変わって』で間接的に死が歌われているようで、全体として明るい印象を受ける。『いくたびか』『生まれ変わって』『ウエイトレス』は繰り返しの効果だが、『巡り遭う』が全体を肯定的にまとめているのだろうか。繰り返しがあり、同じことと違うことをやっていくことを肯定的に歌っているような印象を受けた。

 歌集がまとめに入っていることも感じの良さに繋がっているのかもしれない。

 

「繰り返し」「前向き」

 

お替わりの水をグラスに注ぎつつ、あなたはほむらひろしになる、と

 

 前歌からつながっているような歌。『お替わりの~』というウエイトレスの仕事をしながら、『あなた』を『ほむらひろし』と呼んでいる。まみは穂村さんをほむほむと呼んだりしていたので、屈折しない呼び方になるのはまみの成長を表すようにも見えるし、生まれ変わって巡り遭った相手として誰かをほむらひろしと呼んでいるのかもしれない。『になる』というのがかなり意識的な言葉であり、人が誰であるかを決める能力を持つものとして自分をとらえていることが、強さのようなものを出している。

 

「成長」

 

手紙魔まみ感想231・232

もう、いいの。まみはねむって、きりかぶの、きりかぶたちのゆめをみるから

 

 『もう、いいの。』というあきらめ、『ゆめ』へ向かうという逃避として読んだ。『きりかぶ』に『たち』と付け直していることから、人格を認めているようにおもわれ、人間のいない空間で切り株と戯れるという『ゆめ』にあこがれているのだろうか。全ひらがなも幼児退行、逃避に関連した技法であるように思う。

 

「あきらめ」「逃避」

 

天沼のひかりを浴びて想いだすさくらでんぶの賞味期限を

 

 『賞味期限』は現実的な障害物であり、そのことを『想う』のは現実と向かい合っていく気持ちの表れととられる。思い出すではなく『想いだす』な点には注意を払っておきたい。『天沼』と『さくらでんぶ』があまりなじみのない単語で、そこからイメージを広げさせるのが困難。味などより外観を重視した食材?の現実性?

 

「現実」

手紙魔まみ感想229230

「速達」のはんこを司っている女神がトイレでうたっています

 

「女神」とはまみ自身だと思われる。「つかさ/どっている」と漢字の途中で音が切れることもこの発言が本気ではないことを暗喩する効果だろう。自分を女神に例えたり、トイレで歌うという大胆さ、テンションの高さがここでのメインテーマだと思われる。『「速達」のはんこ』をどう読むかというところでは、大胆すぎてテンションが振り切らないように適度にみじかで大したことないものから選んだのだと考えた。

 

「テンション」

 

 

なんという無責任なまみなのだろう この世のすべてが愛しいなんて

 

 こちらも大胆さがテーマになっているといえる。すべてのものへの愛情、肯定であり、前置きとしてそれは「無責任」さでもあるという自己批判が置かれている。それでもここで重要なのは大胆な告白にいたる彼女のテンションの高さだろう。何かに例えることなく、自分へ正確に言及し、「すべて」もごまかすことなく言い切るのは、とても大胆であり、そこがテーマだろう。

 

「愛情」「大胆」

手紙魔まみ感想233・234

一九八〇年から今までが範囲の時間かくれんぼです

 

 まみのモデルの人が現実で生まれたのは七四年らしい。すると八〇年は小学校入学辺りでキリがいいのでそのように考えておく。

 『今まで』が『範囲』なので今からは違うと見られる。小学校辺りから人間関係が複雑化して『かくれんぼ』状態だったが、そういうことはやめるということだろうか。つまり、本心をこそこそさせるのをやめて、正直にやっていこうということで、この詠もやっていこうの系統であると読むことができる。

 

「これから」

 

 

玄関のところで人は消えるってウサギはちゃんとわかっているの

 

 『ウサギ』の詠。ウサギの視点に立とうとしているが、『ウサギ』の呼称からまみの視点ではあるといえる。

 ペットのウサギから観ると、確かに玄関の外での飼い主は謎であり、消えるようなものである。自身が外にでられないことなどへの諦めも混ざったような表現で、正確ではないが、把握はしているのではないか、というまみからの推測が詠にされたものといえる。『ちゃんとわかっているの』といいつつも正確ではないところが面白味なのだろうか。

 

「認知」「正確」